【第173回】 今に満足

人類がチンパンジーから分岐したのは400〜600万年前と言われるから、人類の歴史などは、宇宙の歴史の137億年に比べれば、まだ始まったばかりの赤子である。しかし、人類はこの数千年で文明を興し、科学を発達させ、また、より豊かに、そしてより快適に生きようと、自然や他民族や他国民などと闘ってきた。

現代は物質文明であり、科学万能の世の中であると言えよう。物質文明というのは、物を沢山もち、力のあるものが無いものを牛耳る世の中であり、さらに飽くことなく物や力を持とうとする、物が心に優先する世の中である。

そして、科学万能の世の中とは、理論が感覚より優先する世の中であると言える。 科学は人類をより便利で快適にするために発達してきたし、人類への便利さに応じて評価されるので、科学は飽くことなく便利や快適さを求めて進んでいくことになる。しかしながら、科学の時代は決して人を完全に満足させることが出来ないだろうし、逆に人に不平を与える時代とも言えるのではないだろうか。

科学の発達は人類を便利で快適にしてくれるが、弊害も多い。合気道の教えにあるように、物事には必ず表裏がある。

多くの人達が合気道の道場に通って技の練磨をしているが、合気道の本部道場は冷暖房の設備がないため、夏は暑く、冬は寒いと不平を言う。より快適さを求める習慣が、稽古にも出てきてしまうのだ。冬は寒くて嫌だと不平を言っていたのを忘れたかのように、夏は暑いと不平不満をいう。夏も不満、冬も不満。暑くても寒くても不平をいう。科学文明に冒された人は、いつも不平不満をいう。今に満足することがないのだ。それは、不幸であるといえよう。

暑い夏では、暑さの中での稽古を享受できればいい。寒い冬でも、寒さの中での稽古を楽しめばよい。その時その時を楽しめばよいのだ。隣の芝生を羨むようなことはせずに、またより快適な状況になればいいなどと妄想を抱かずに、現状を最大限楽しむことが出来れば、よいのではないだろうか。それが、修行というものだろう。汗をかきたくて、お金を払ってサウナに行く人もいるのである。稽古で沢山の汗がかける暑い夏は有難いと思えばよい。現実である状況は変わらないが、思うことは自由である。思いによって、幸せにも不幸にもなる。

科学は自分は努力しなかったり、何もせずに、周りのものを利用したり、動かして、快適になろうとするものである。科学が進歩しても人自身は余り変わらないか、もしかすると退化しているかもしれない。

合気道は、自分自身が変わることに意味がある。今に満足することである。