【第141回】 次世代のために

今の世の中は、だいぶ荒んでいるように見える。これは開祖が言われたように、ここまで物資的に豊かになった社会に沈殿した罪穢れであろう。もうそろそろ物質文明から離れ、争いのない社会、モノより心を大事にする社会に向かわなければならない時期が来たといえるのではないか。

若者はモノや力に憧れるのはしょうがないだろうが、年配者はそろそろそこからぬけだすべきであろう。定年になって株や先物買いや投資で金を儲けようとしている姿は哀れである。もうそろそろお迎えが来るし、食べることも飲むことも以前のようには出来ないのに、金々々と目くじら立てているのは滑稽である。

近所でも街中でも小さな子供を見かけるが、無邪気でかわいいものである。疑うことを知らず、生きている喜びを体中で表している。一緒にいるお母さんを信頼しきって、安心して遊んでいる。お母さんは世界一と信じている。子供にとってはお母さんがお金持ちであろうがなかろうが、学歴があろうがなかろうが関係なく、母親はいつも一番である。

世俗の穢れも知らずに天心爛漫な子供達を見れば、この子供達のためによい世の中をつくらなければならないし、よいものを残してやらなければならないと、誰もが思うのではないか。われわれ大人はそのために努力すべきであろう。特にそれが高齢者の務めであり、義務でもあろう。少しでもよい社会にして、小さな子供達が大きくなったとき、少しでも快適に過ごせるように、経済力だけではなく精神面でも充実した生き方ができるようにと、伝統的な文化や知恵等大事なものを遺していくべきであろう。

合気道の修行でも、われわれ年配者(高齢者)は次世代のためにも修行すべきであると思う。それは若者に技がああだとか、こうだとか言うことではない。まずは自分自身が合気道の技をレベルアップし、合気道の進む道を、目標に向かって一歩でも先に進むべく努力し、足跡をつけなければならない。

大事なことは、自分たちの修行の姿を見せることである。精一杯稽古をしていれば、若者はそれを見て、同じように一所懸命に稽古をしようとするだろう。高齢になってもあれだけやるのだから、自分たちも頑張らなければならないし、いずれ高齢になっても頑張ろうと思うだろう。そうすれば我々の世代から、次の世代に引き継がれることになり、次の世代から次の次の世代への橋渡しができることになる。

一生懸命に稽古するということは、いうほど簡単ではないかもしれない。しかし、一つ言える事は、次世代の若者がそれを見て、自分も高齢になったらああなりたいと思うようにすることである。そのためには、自分との戦いを続けている姿を示すことではないだろうか。強い弱いではない。ただ地道に、自分の道を一歩々々、ぶつかったり、迷ったり、問題解決して喜んだりして、最後まで挑戦し続けることだと思う。

次世代のために修行するということは、自分の稽古をしっかりすることであろう。残り少なくなっている時間を次世代のため、自分自身のために遣おう。