【第13回】 使命感

若いうちは無限の可能性があり、あれもやろうこれもやろうとするが、ある程度年をとってくると自分の進みたい方向が定まってくるものである。それまでは好きなことや、またはそうせざるを得ない事情があってしてきたことが、年をとって本当にやりたいことが絞られてくると、次第にそれに繋がっていき、いままで様々なことをやってきたのはこのためであったかと思えるようになる。勿論、もっと若いうちに自分の仕事はこれだと決めた天職が使命感となることもあり得る。

高齢者になると一般に、人に勝とうとか、一旗あげようとかなど思わなくなり、ただ自分を何かの形で残したいとか、後進に何かを伝えたいとか思うようになり、それが自分の使命感だと思うようになるものだ。

高齢者からはじめようが、高齢者になっても続けようが、せっかく合気道と出会えたのだから、合気道との出会いを感謝しするとともに、それがプログラムされた宿命であると考え、合気道の修行をすることが自分の使命と考えるのがいいだろう。

合気道は奥が深く、これを解読するには一人や二人で解明できるものではないのだから、使命感を持つ者みんなで一つひとつ解明し、後進に伝えていくべきだろう。
だから、使命感をもって稽古を続けよう。

合気道には形がないと言われるし、高齢者になればあまり形にこだわる必要もない。でも、高齢者には経験と知恵がある。
若いときには、このいつまでも若くて元気な状態が永遠に続くと信じている。しかし、そうではないことを私に教えてくれたのは、高齢の先輩であった。その先輩に「いつまでも若くはない。あっという間に年をとるぞ!」と言われたときに、ハッと気付いた。それからは毎日々々、ひと技々々を大事にするようになったのだ。先輩の言がなかったらどうなっていたか冷や汗もので、あのときの先輩の言には心から感謝している。

何にもまして道場で高齢者が真剣に稽古している姿を見るほど、感動するものはない。強くなろうとか、金儲けしようとか、有名になろう等々の欲もなくなり、淡々と稽古しているのを見ると、胸にジーンとくる。恐らく残された時間に何かやらなければならないという使命感からやっているのではないだろうか。他人とではなく、時間や自分との戦いを無欲にやっていることに感動させられる。
そういう高齢者の話を、今の若者も必要としているのではないだろうか。