【第103回】 次世代を育てる

戦争に負けただけでなく、グローバル化により、日本も核家族化、個人主義、物質文明、若者文化に変わってきている。かっての高齢者の役割が必要なくなってしまい、居場所がなくなってしまった感がある。そしてこれが今の社会問題を引き起こす原因の一つになっていると思える。高齢者が役割を持ち、それを自覚し実行していけば、若者も元気になり、きっと社会はよくなるだろうと信じる。

人はたかだか100年位しか生きないものだ。100年生きると考えると、100年前に生きて死んだ人の後を引き継いで、100年生き、次の100年を生きる人にバトンタッチするわけである。そうやって、人は繋がり合い、歴史が続いていく。それ故、人は過去の歴史に興味をもち、自分との繋がりを確認し、自分の位置づけをする。人はまた、未来にも関心を持つ。自分の存在意義、未来への架け橋をしたという実感を持ちたいからだろう。

人は無意識のうちに、この歴史の流れの中で自分の存在を残したいと思うもののようだ。それを生きることというのだろう。世の中には大発明をしたり、大発見をしたり、素晴らしい作品を残したりして歴史に名を残す人もいるし、歴史には名を残さないが、何かを残して満足して亡くなっていく人もいるはずだ。

自分の人生に満足できるかどうかは、人によって違うだろうが、最終的には人を育てることではないかと思う。いくら金を貯めても、大邸宅やモノを持っても、どんなに頭がよくても、どんなに素晴らしい技術や「わざ」を持っていても、自分だけで抱え込んで死んで行っては、安らかに死ぬことはできないのではないか。

人を育てるということは、自分が過去と未来の歴史を繋ぎ、自分がその仲立ちをしているということである。人は、自分が育てる人によって、未来を生きるということになると思われる。

人を育てることにはいろいろあるだろう。親として子供をつくり、人間として一人前になるよう育てること。高齢者になればおじいちゃん、おばあちゃんとして孫を育てる。そして、孫に親が出来ないこと、あるいは親が教え難いことを教える。自分の孫だけではなく、以前そうであったように、地域社会の孫のような子供たちに、社会人としての教育をする。

会社では若い社員を一人前の社員となるように、そして社会人としても恥ずかしくないように教育する。とくに今は、ビジネスもグローバル化しているわけだから、世界のどこに出しても恥ずかしくないような人に育てなければならない。真の人間に育てることができれば、会社の歴史の上だけではなく、日本や人類の歴史の上に、自分の教育の成果を残すことが出来るかも知れない。パナソニック(旧称 松下電器産業)の創業者である松下幸之助氏などはその好例と言えるであろう。

合気道でも、高齢者になれば、合気道の将来を考え、次世代のことを考えなければならない。強い弱いとか、やったやられただけで稽古が終焉してしまえば、後悔することになるだろう。若いうちは自分のためにしっかり稽古をし、高齢者になってきたら、自分の経験や発見したことを次世代に残すべきであろう。次世代に残すということは、それを若者に伝えるということである。

武道や武術は、誰もがゼロからコツコツと積み上げて稽古をしなければならない。基本的には、誰もが同じことを、やるべきことをやらなければいけない。しかし、例えば、何が問題なのか、何をやるべきなのかを見つけるのは、若者には容易ではない。上級者である高齢者は、自分の体験からやるべきこと、やってはいけないこと等を伝え、道を外れないように導いてやらなければならない。正しい道を次世代の若者がどんどん進むことができれば、彼らが高齢者になったとき、それを次の世代の若者に伝えることができるだろう。

武術や芸事のような伝統文化で、どんな素晴らしいものでも、世代々々で受け継がれなければ消滅していく。合気道など武道や武術、伝統文化は、日本のみならず、人類の財産である。この素晴らしい財産を消滅させないように、次世代を育てなければならない。