【第9回】 新しい出会い

長年働いた後で定年を迎えることになると、ふつうは退職金や年金が入るだろうし、蓄えもあることであろう。この頃までには子供も独立していて、手もお金もかからなくなる。
もう早起きして会社に行かなくてもいいし、仕事の緊張もない。時間もエネルギーも自由に使えるのだ。待ちに待った時がきたわけだが、うれしい反面どこかさびしい感じになったりするのはなぜなのだろう。

人は自分の置かれている状態や今の自分と対照的な状態に憧れる。忙しく仕事をしていれば、仕事をしないこと、朝早く起きなければならなければ、早起きしなくてもいい状態を、時間がなくて運動がしたくてもできないときは、運動がしたいなど、時間ができたらあれもやろうこれもやろうと思うものだ。

しかし、時間ができたり、経済的に余裕ができたからといっても、案外と多忙なときに夢見ていたことはほとんどできないものらしい。やり始めることはやるようだが、長続きしない。元来が仕事をやめたらあれこれやろうという希望(夢)は、多忙という状況のもとで考えられたものである。だから、この多忙という分母(環境)が変われば、この夢は夢でなくなってしまうことになる。

先日の紙上に、高齢者が生きがいを感じることとして、年をとってから出会うすばらしい友達、今までやったこともない学習や稽古事のグループに入って新しい体験をすることが挙げられていた。聖路加国際病院理事の日野原博士は、「自分の中に新しい芽が育つことを発見して、新しく出会った友と一緒に行動する時の喜びは大きいものです。」と書かれている。(日野原 重明「94歳・私の証 あるがまま行く」朝日新聞)

このような意味においては、合気道はまさに高齢者の生きがいを満たすものであるといえよう。合気道の道場では、年配者同士だけでなく若者とも、稽古を通じて年齢を超えた友達になれるし、日々の稽古で新たな発見を、技だけでなく自分のなかにも見出す事ができる。その上、体力(筋力、柔軟性、バランス感覚、心肺機能)もつく。体力がつけば、食事もビールもうまくなる。この体力という分母が変われば、これまでのものは変わるし、新たな生きがいも生まれるわけである。例えば、山登りをしようとか、海外旅行をしようとか、そのために英会話をやろうとか、ダンスを習おう、などと夢が生まれるし、何をやるにも遅いということはないと気付くだろう。筋肉は90歳になってもつくものである。長生きする上で、若者と接することは大切らしい。古株に若い芽を接木すれば、新たなものが生まれてくる可能性がある。ぜひこれから合気道で、新しい出会いと新しい人生を見つけられることを希望する。