物事をする場合、何事も本気でやらなければよい結果は得られない。いやいややったり、惰性でやっていては、大した仕事は出来ない。
本気とは、辞書には、「冗談や遊びなどでない、本当の気持ち、真剣な気持ち」とある。本気になるためには、それが自分にとって非常に大切なことであると認識することであろう。そうすれば自分の全知能と全精力を傾け、邪念や周りからの妨害にめげず、命と体を張ってやろうという気持ちになり、本気になることになる。
しかし、本気になるというのはそうたやすいことではない。ひとは少しでも楽をしようとする遺伝子をもっているらしく、自分を厳しくすることに無意識の抵抗があるからである。
だが本気にならなければ、よい結果を得られないこともわかっている。そして本気でやってよい結果を出している人も沢山いる。だが本気でやったのに、いい結果がでないと嘆く人も沢山いる。それは、本気度の密度の違いによるのかも知れない。
本気になるため、本気度をあげるためには、これが自分に本当に必要であると思うことである。それを自分の使命と信じたり、自分の生きる目標と結びつくことである。また、これは必ずやひとのためになると信じられることである。合気道の開祖である植芝盛平翁は、本気で修行したから、このように素晴らしい合気道をつくられ、今に残し、これだけ普及することができたのである。
大正から昭和期に活動した社会教育家で、大衆教育家、文化運動の指導者である後藤静香(ごとう せいか)(明治17年〜昭和44年)という人がいる。後藤静香は、『権威』をはじめとする著書の中に、短い詩のような形式の言葉を数多く残している。この詩は子供にも分りやすい言葉の中に、深い意味がこめられており、凝縮されたそれらの言葉には、時を超えて人の心に問いかけ、訴えかける強さがある、といわれている。
その彼の詩の一つに「本気」という詩がある。
「本気」
本気ですれば
たいていな事はできる
本気ですれば
なんでも面白い
本気でしていると
たれかが助けてくれる
人間を幸福にするために
本気ではたらいているものは
みんな幸福で
みんなえらい (後藤静香「権威」より)
本気でやれば面白くなる。面白くないのは、まだ十分本気でやっていないということになる。本気でやれば、不思議と何かが助けてくれる。助けが現れないのは、まだ本気が足りないのだろう。本気でやっている姿は美しい。自分が満足できるだけでなく、ひとにも感銘を与える。
合気道でも、仕事でも成果を上げるためには、能力と努力と運が必要であるといえよう。能力はどうしようもない。あるものはあるし、ないものはない。しかし、努力は誰にでもできる。努力とは、本気でやることである。本気でやれば運がついてきて、また助けも現れる。この三つのうち、本気が一番大事なようだ。