世の中忙しくなっているせいか、ますますせっかちに事を急ごうとするようになってきている。結果を出来るだけ早く出そうとか、やり方はどうであれ結果さえ良ければいいとか、それが高じると、間違ったことをやっても目的さえ達成できればいいと思うようになる。人をペテンにかけてお金を儲けるとか、カンニングして試験に合格するとか、合気道でも、相手を投げ飛ばしさえするばいいということになってしまうのだ。
お金は儲けるものではない。結果として、儲かるものだ。合気道の形稽古でも相手を倒すのではなく、相手が倒れるようにするのだ。いい仕事をして相手に喜んでもらい、満足してもらった結果、お金が入るわけである。いい仕事をしなければお金は入らないはずだし、合気道の形稽古でも、いい仕事のプロセスを踏まなければ相手は倒れない。いい仕事をしないで、人に満足してもらわないでお金を得ようとするから、警察のご厄介になったりすることになるし、稽古では争いになる。
よほど注意しないと、人はやるべきことをやらずに、やってはいけないことをやってしまうようだ。合気道の形稽古でも、やるべきことはやらずに、やってはいけないことをやってしまい勝ちである。
合気道の形稽古や「わざ」では、やるべきこと、やってはいけないことは、本来決まっているようだ。簡単に言えば、形や「わざ」は自然で理に適い、無理なく、そして宇宙の法則に則ってやらなければならない。自然に反した、理に合わない、宇宙の法則にないことは、やってはいけないようである。なぜならば、開祖が、自然や宇宙のこころやひびきを表すものが合気である、といわれているからである。
開祖がいわれていることは、自然や宇宙のこころであり、合気道を修行するものがやるべきことであろう。例えば、開祖は合気をするにあたって、まず「天の浮橋」に立たなければならないと言われる。まずやるべきことは、「天の浮橋」に立つということである。出来ない、分からないと思っても、逃げずに「公案」と思って、焦らず探求すべきであろう。
その他、やるべきこととやってはいけないことの例を思いつくまま幾つか挙げてみると、
@「わざ」の稽古の全体を通して