【第86回】 力を抜く

どんな武道や武術でも、まず体づくりをしなければならないし、力をつけなければならない。合気道でも若い内、初心者のころは形と技を通して、合気の体をつくり、力をつけなければならない。稽古で力いっぱいやっている若者に、力を抜けなどというのは間違いで、力を出し切っていない若者に、もっと力を入れろと言うぐらいでなければならない。若い初心者に「力を抜け」といっても、力のない者には力は抜けないだろう。

我々学生だったころ、力を抜いた稽古をしているところを開祖に見つかると、そんな力を抜いた稽古をするなと叱られたものだ。しかし、我々稽古人が力を入れて揉み合っているのをご覧になると、にこにこしながら道場に入ってこられ、「そんなに力をいれなくともいい。合気道は力がいらない」と言われて、そばにいた内弟子を、力を使ってないかのように軽く投げ飛ばし、さっと行ってしまったこともある。若かったころは、開祖が力を入れろとか、力は要らないとか、矛盾することを言われるのにちょっと戸惑ったものだった。

合気道でも力があるに越したことはない。開祖もご自身の力自慢の話を休み時間などでしてくださったものだ。合気道は力が要らないといわれるが、それは力がなくてもいいということではない。力の使い方が大事なのである。力を力として使うな、力むなということであり、手さばきではない、レベルの高い良質の力を使えということであろう。

力を合気道では動・静、解・凝、引・弛、分・合より成り立っているといい、八力という。力が強いというのは、この4つの力の対照力の幅が広いことと、この八大力が大きく丸く収まっていることだろう。この八力で構成される力を発揮するには、力んでは出ない。なぜならば、力むということは、力が静、凝、引、合と求心力の力しか出せず、遠心力が出ないので、呼吸力にならないからである。この力みをなくすことを、力を抜くというのだろう。

また、力は意識していては、十分出ないものだ。オリンピック金メダリストのカール・ルイスを育てたトム・テレツ コーチは「人間は意識して速く走っているときは速くないのです。無駄な力を抜いて走っているときが速いのです。」といっている。合気道でも、力で技を掛けようと意識して力を込めると思うように力が出ず、相手を制すのが難しくなる。特に相手が掴んだり、打ったところに力を込め勝ちになるが、期待するほどには力が出ないものである。

強くて、レベルの高い力を出すには、力を出そうとあまり意識しないで、無駄な力を抜くことである。そうすると体が重くなり、その重力は地面(床)で地球の中心に向かって落ちる。そこで膝の力を抜くと地面(床)からの抗力が返ってくる。この抗力が強力で、レベルが高い力であろう。これは、地に足が着かない宇宙遊泳を考えれば、分かりやすいだろう。(写真)

また、力を出そうと意識して筋肉に力を入れると、筋肉、特に腱組織(骨につく筋肉組織)の伸張反射が鈍くなり、スピードと威力が減少するため、リラックスすることが必要である。手足など体の各部がリラックスするためには、重心だけをしっかり保つことである。リラックスするには一箇所の支点が必要だからである。二箇所以上の支点ができると、力が分散してしまうことになり、力が弱まってしまう。

力を発揮するには、天の浮橋に立たなければならない。八大力より成り立つ所の道理を神習うのが、力の練磨であるという。これを力を抜きながら、日々稽古しなければならない。