【第83回】 意識の二重螺旋構造

合気道はまず形(かた)を習い、形がある程度できてくると「わざ」を磨いていくことになる。初めのうちは形を覚えるのに、先生が示した模範の形を、誰でも目を凝らして意識して覚えなければならない。意識が弱いと、その形がどのような形だったのか、頭に残らないし、自分でも再現できない。特に初心者は、意識して形を覚えなければならない。先生の示してくれた形をしっかり目に焼きつけ、記憶し、再現し、そして先生との違いを修正していくのである。

体の動きには、意識するものと意識しないものとある。例えば合気道の形を覚える場合、手の動きははじめは意識しなければならないだろうが、立ったり、歩を進めたり、体が倒れないようにバランスをとるなどは、無意識的に行なっている。頭の脳の中では意識にのぼらないことでも、からだは反応しているのである。ひとのからだの動きは、意識と無意識の二重構造になっているのだ。合気道の稽古でも技をかける時に、体は意識と無意識の両方が働くことになる。

動きや「わざ」は意識してやっては効かないから、意識しないでやれといわれる。従って意識して覚えた形や「わざ」を、無意識でできるようにしなければならないわけである。意識して覚えたものを意識しないでできるまで、繰り返し繰り返し体に覚えさせるのである。合気道の稽古は基本の形を何千回、何万回と繰り返しやるが、それは意識して覚えたものを無意識化するということでもあり、大いに意味があることなのだ。

合気道の稽古は、始めは意識し、それが無意識でできるまで繰り返し修練するのだが、それで終わらず、更に少しでも多く新しい形や「わざ」に挑戦し、それを意識して覚え、意識しなくてもいいようになるまで稽古することの繰り返しであろう。合気道の稽古は、意識と無意識の二重螺旋構造で行なわなければならないということができるであろう。