【第664回】  相手にも強くなってもらう

合気道は相対で技を練り合って精進していく武道である。誰でも少しでも上手くなろうと頑張っているはずである。しかし、思うように上達しないのが現状である。5年、10年の初心者の内はそのような心配はしないものだが、いずれ上達しない事に悩むようになるはずである。それは50数年の己の経験から出た見方であるし、自分自身で悩んだからである。

上達するためには、いろいろやるべきことがある。やるべき事や、やり方はいろいろあっても、人によって違うだろうし、その重要度や優先順位なども違うだろう。
しかしながら、誰もがやらなければならない事もあることも確かなようだ。
何故ならば、上達ということを考えればいい。合気道での上達とは、合気道の修業の目標に近づくことであろう。その目標は、宇宙との一体化である。宇宙とひとつになることである。合気道はそのために、技を錬磨するわけだが、その錬磨する技は、宇宙の営みを形にしたものであり、宇宙の法則に則ったものである。技を会得する稽古によって宇宙を取り入れているわけである。それによって、宇宙と一体化しようとしているのである。
従って、上達とは、宇宙の営みや法則を取り入れれば、それだけ上達したことになるわけである。その結果、上手い技もつかえるようになる。

合気道でも、上達は一人では無理である。人の力を借りなければならないということである。俺は一人で上手くなっているといっても、どこかで他人と稽古をするはずである。また、過去の人たちから術や知識を学ぶだろうから、過去の人たちにもお世話になっていることになる。

道場での相対稽古では、相手の方にお世話になっているし、稽古仲間にもお世話になっている。古い稽古人は新人や後輩をお世話するが、お世話にもなっているのである。極端に言えば、もし、彼らが存在しないとか、稽古を拒否すれば、稽古はできないし、上達のための研究もできないからである。

古株は新人や後進・後輩より長く稽古している分、強いだろうし、上手いはずである。通常は、この関係が続くものだが、何年かすると、強い、上手いの差がなくなったり、逆転することが多くなる。、これは当然であり、自然なのである。何故ならば、追いかける方の進歩は、追いかけられる方よりも速いので、必ずどこかで追いつかれることになるわけである。
追いつかれないためには、追いついてくる方の3倍以上の稽古をしなければならないだろう。
この点、一般の稽古人の稽古仲間に対してだけではなく、支部道場の先生が注意しなければならない。支部道場では、折角育った優秀な生徒が辞めていく例が多いが、これは先生が頑張って上達をしないでいる内に、生徒が上達してしまい、先生は面白くないし、生徒も先生はこんなものかと思って、辞めさせたり、辞めるのだと見る。

自分が強くなろうと思ったなら、相手にも強くなってもらうことである。相手も強く育てることによって、自分の上達を図るのである。しっかり受けの相手を極めて、抑えるのは勿論、こちらは相手の受けの形に入ってやり、思うように極めさせ、投げさせるのである。俺が強いとかそんな技は効かないなどと頑張ったり、また、技を効かせないように頑張ったり、弾き飛ばしたりしないことである。二教や三教、四教などきっちり思う存分かけさせるのである。諸手取呼吸法でも思い切り握らせ、相手の手や腹も鍛えさせるのである。これによって、こちらの鍛練にもなるわけだから、双方にとって上達するので、ウィンウィンの稽古になるわけである。

といって、別に同じレベルで強くするということではない。教える側と教わる側の次元の差は、3つはなければ上手くいかないはずである。3つの差によって、己との格差があることが自覚できるからである。例えば、初段と三段の差は明確である(理論的に)。しかし、初段と二段の差は不明確なものである。何故ならば、初段と二段の接したところでは、初段でもあって、二段でもあるからである。

相対稽古で己が上達したければ、稽古仲間、後進や後輩を強くしていくことだと思う。それによって稽古のレベル、技のレベルを底上げしていければ、その結果、己自身の上達になると確信している。

一人では上達はない。自分が強くなろうと思ったなら、相手にも強くなってもらうことである。そして相手や他人に感謝し、愛の合気道で上達していきたいものである。