【第660回】  魄からの脱出のために その1.

晩年の大先生が言われたことの一つが今やっとわかってきた。それは「合気道は日々変わらなければならない」ということである。これは合気神髄にも書いてある。つまり、「合気道は、周知のごとく年ごとに、ことごとく技が変わっていくのが本義である」(『合気真髄 P.17』)というのである。
当時は合気道の基本の技を一生懸命に覚えようとしていたので、技がちょいちょい変わられたら困ってしまうし、本当に変わるのか、どのように変わるのか心配ではあったが、あまり気にしないように稽古を続けていた。
しかし、それから1,2年しても、大先生の技が変わった様子は見受けられずにいたが、それえも大先生は事ある毎に、技は変わっていかなければならないと言われていた。

何が分かってきたかと云うと、まず、技は変わらなければならないということである。というより、技は変わらざるを得ないという事になる。そして技が変われば、己の合気道が変わるという事に繋がるということである。
この変わるには二つの事がある。
一つは、技が変わること。技は宇宙の営みを形にしたものであり、宇宙が180億年来変わり続けているわけだから、技も宇宙の営みに則って変わらなければならないはずである。
二つ目は、技をつかう側が変わらなければならないという事である。技づかいが変わることによって、技が変わるということである。
例えば、私が合気道を始めた頃の合気道は、まだ、人に負けまい、やられまいという、所謂、中古よりの覇道的武道ということで、これを大先生は嘆き、
「今どきの武を講じる人は往々にして日本の真武を知らず、中古よりの覇道的武道におちいっていることを悲しむ」(神髄P.162)と言われていた。
この中古よりの覇道的武道を、魂の武道に変えなければならないと、大先生は、合気道は変わらなければならないと言われていたと思うのである。

しかし当時の先生や先輩方が覇道的武道から魂の武道に、己の技を返るのはなかなか難しかったと思う。長年培ってきた稽古法、技づかい、それにプライドがあったからである。力には力を、魄には魄をということになってしまい、その延長上を進むことになったからである。

異質のものを得るためには異質の稽古をしなければならない
顕界の稽古、見える世界・次元で問題があれば、幽界、見えない世界、異次元でも稽古をしなければならない
つまり、まったくそれまでと異なる、真逆の稽古をしなければならないのである。
だからそのために、一度は弱くなるものである。それまで容易に投げたり、抑えたり、極めたり出来ていた相手に技が効かなくなったり、逆にやられてしまうことになるのである。この悔しさや屈辱に耐えるのは容易な事ではないだろう。

しかし、技を変え、己の合気道を変えて行かなければ、必ず大きな壁にぶつかることになる。力の強い相手に力でやられるか、争いになるか、または体を壊すことになる。

この壁をやぶるためには、魄からの脱出を図らなければならない。
具体的にどうするかは次回にする。