【第659回】  禊ぎを日々、必ず修業

合気道は禊であると云われるし、日々、禊ぎは必ず修業しなければならないと、大先生は、「禊ぎは、はじめに述べたように立て直しの神技の始めに行ずるのであるが、禊をして精神の立て直しをすることは特に合気道を学んでいる各自にお願いしたい。日々、必ず修業してほしいと思う。(神髄P.152)」といわれる。

本来は、神技の始めに行うものであるが、道場では指導者によって、禊ぎをやったり、やらなかったり、短かったりするだろうから、禊ぎは自分で一人でやるほかないだろう。

禊ぎには二種あると考える:

  1. 肉体的禊ぎ: 体の錬磨であり、汗をかき、体(内臓、筋肉、関節)のカスを取り、活性化することである。  例:木刀、杖、鍛錬棒などの得物の素振り、四股踏み、柔軟運動、船漕ぎ運動、水浴等である。
    広い意味では、稽古前の準備運動も禊ぎに入るだろうし、禊ぎになるような準備運動をしなければならないだろう。
  2. 精神的禊ぎ: 宇宙の気、天地の息で精神を禊ぐこと。 真の心=魂で心を磨くこと。例:祈りや祝詞などである。
    祈り・祝詞によって、体が響き、体も禊がれる 例、モンゴル人の喉歌のホーミーのように複数の音がハモって響く
上級になれば、肉体的禊ぎでも精神的禊ぎもできるようになるはずである。

また、もう一つの禊ぎの分け方があることになる。
  1. 狭い、本格的な意味の禊ぎ:
    上記の大先生の言葉での「立て直しの神技の始めに行ずる禊ぎ」である。
  2. 広い意味の禊ぎ: 合気道は禊であるの禊である。1.の禊との対極にあるわけである。
若い内は、時間も限られるので、力、体力に特化した肉体的禊ぎになるが、高齢になると、時間に余裕があるわけだから、肉体的禊ぎと精神的禊ぎを共にやるのがいい。 肉体的禊ぎだけだと、自分自身の中や人間の世界だけの禊ぎに留まってしまうだけなので、精神的禊ぎによって、宇宙や天地の関係と一体化の大きな禊ぎにしなければならない。何故ならば、合気道の目標は宇宙との一体化であるからである。

次に大事な事は、禊ぎは毎日やるべきである。何故ならば、大先生が上記のように「日々、必ず修業してほしい」と云われているからである。それでは、その毎日やらなければならない理由は何かを考えてみたいと思う。私の考えは、人の体も心も一日単位で働いてくれるわけだから、一日単位でカスを取り除き、疲れを癒し、壊れた・疲れたところを修復し、活性化なければならないと考えるからである。

次に、一人禊ぎと道場の禊ぎ稽古の違いである。禊ぎは一人での修業であり、自分との戦いであり、絶対的な戦いといっていいだろう。そして道場の広い意味での禊ぎ稽古は、相対なので、他との戦い 相対的な戦いに成りがちになる。
従って禊ぎの理想は、一人の毎日の禊で修業して、そこで得た事(肉体と精神)、考えた事、疑問の思ったことなどを、道場での相対の相手に試したり、確かめたり、反省したり、改善することではないかと考える。