【第655回】  技と体は呼吸いき

道場で相対での形稽古をしていると、最近は稽古相手のことが気になるようになった。以前は自分の事で精一杯で、相手のことなど余り気にしていなかったが、近頃は気になるのである。
何度も稽古をして顔見知りの相手は、以前とどこが、どれだけ変わったのか、上達したのかや、あまり変わっていないことや、悪い癖などがついて、悪くなっていること等を気にしたりする。はじめての相手では、まず、どのぐらい稽古をしているのかは大体分かるし、何処に問題があるのか、何に悩んでいるか、この問題を解決するには、これから5年、10年と苦労するだろう等がわかる。何故ならば、私自身がたどってきた道をこの後進達が辿っているからである。

最近の一般的に気になることは息づかいである。
まず、息づかいの大切さに気付いていない事、そして気づいているのだろうが、どうすればいいのか分からずに、めちゃくちゃに息をしていること、そして教えても出来ないことである。
息づかいが何故気になるかと云うと、息づかい、呼吸がしっかりできないと、技も体も正しく、つまり、宇宙の法則に則ってつかえないだけでなく、終いには、体を壊すことになるからである。多くの稽古人が、途中で合気道の修業から撤退する原因のほとんどが、体を壊すことだと思うからである。
膝や肩や腰を壊して早期引退しないように、息(呼吸)づかいを修練して身につけなければならないと考える。

相対稽古での息(呼吸いき)づかいには3つの段階があると思う。
第一段階は、技を掛ける際に息を吐いて極めようとする段階である。一教でも二教でも、息を吐きながら極めようとする。受けでも同じように、相手が極めようとする際、息を吐いて頑張る。
勿論、これは理想的な息づかいではないが、上達していくために必要な段階の息づかいであると考える。何故なら、この息づかいによって、肺が丈夫になり、力がつき、手首や肘などの体の部位と体が鍛えられるからである。
しかし、この息づかいで技と体をつかうと、相手とぶつかり、相手を弾き飛ばすことになるので、相手との力比べ、そして争いになる。力の弱い相手を制することはできるが、力の強い、体力のある大柄な相手には効かないので、そういう相手を敬遠することになり、上達も停滞することになる。
そして、この停滞の期間が結構長いのである。人にもよるが、この段階から抜け出して、次の第二段階に入るには、10年、20年は掛かるはずである。

第二段階の息づかいに入るのは、イクムスビの息づかいで技と体をつかうようになることである。イーと息を吐き、クーで息を引き(吸い)、ムーで息を吐いて技を極めるのである。
この息づかいによって、合気道の技の奥深さ、人の体の摩訶不思議などが分かってくるし、息の出し入れによって、腹と胸が鍛えられ、強くて柔軟性のあるものになってくる。
クーで息を吐きながら、相手と接すると、相手とくっつき、一体化するようになり、これが技の初めになることが分かる。そして、くっついて、一体化した相手を、クーで息を引きながら導くのである。後は、自分と一体となっている相手だから、いつでもクーと息を吐きながら投げたり、極めればいい。
第一段階の体で相手を投げたり、極めるのと違い、息で相手と一体化し、導き、そして極めるわけだが、慣れてくれば、相手の体の大きさや重さにそれほど関係なく出来るようになる。それは、体ではなく、息でやるからである。勿論、息だけで人は倒れてくれないので、体をつかわなければならないが、息で体をつかうということである。体は、腹、足、手の順に動かすが、この腹の前に息をつかうということになる。
息は体の大きさや重さは関係ないのである。体の大きい人が、大きな強い息を使えるという事はない。鍛えた方が勝ちである。だから、このイクムスビで息を鍛えるのである。
このイクムスビの息づかいができるようになると、次の第三段階に進む。

第三段階は、阿吽の呼吸である。阿吽の呼吸いきづかいです。
阿吽の呼吸について、「合気道上達の秘訣 第530回」で、「“阿吽の呼吸”で「ア」と口に息を満たすと、息と気(力、エネルギー)は腹や腰などの支点を動かさずに、そこを中心に、上と下の双方に更なる気と力を流し、天と地をつなぐ一本の軸(槍)になる。また、地の足から、体重の力が地にどんどん落ちていくが、その下への力を止めたり、逆流させることなく、アの阿吽の呼吸は、更に下への力を増幅しながら、上への力を呼び出すのである。
さらに、気と力は横の前後左右に満ちて、己の体を包む。」と書いた。
阿吽の呼吸は、己を天と地に繋ぎ、天と地からエネルギーを頂くのである。これまでの段階では、己の力だけで技をつかっていたわけだが、阿吽の呼吸によって、自分以外の天地・宇宙の力で技がつかえるようになるわけである。

また、阿吽の呼吸には更なる働きがあると大先生は云われる。「阿吽の呼吸が、左、右、左と巡環に払って禊ぎすれば、武の兆しが出るまた、生じた武の兆しは、心で身を自由自在に結ぶ。すなわち魂魄の結合をする」というのである。
阿吽の呼吸によって、技を生じ、心と体の魂魄を一体化するのである。
合気道が求める魂魄が一体となり、魄が下になり、魂が上になって魄を導くのは、この阿吽の呼吸による、心と体の魂魄の結合からであるから、阿吽の呼吸で技と体をつかわなければならないことになろう。