【第653回】  馬鹿とハサミは使いよう

毎朝の禊ぎで杖の素振りをしているが、最近、この杖が先生であり、神様に思えるようになってきた。
杖は高々一本の棒である。この棒は機械のように何かをやってくれるわけではなく、何もやってくれない。しかし、この一本の棒はいろいろと使え、いろいろと役立ってくれるのである。例えば、この棒は腕を鍛えてくれるし、足腰を鍛えてくれるし、胸や腹をつくってくれるし、また、息づかいも教え、鍛えてくれるのである。
この棒は自身では何もしてくれないが、こちらの要望を、こちらの気持ちと努力に応じて叶えてくれるし、それ以上に導いてくれるのである。まさしく先生であり、神様である。

大先生がある時、我々の稽古をしている道場にお見えになり、杖をつかわれたが、その際、大先生は「この杖には宇宙が入っている」と言われた。当時はこの意味は分からなかったし、これまで分からないままにしてきたが、ここにきてこれが分かったような気がする。杖一本には、それを使う本人次第で、時空を超越した無限の教えを秘めていて、大先生のようになれば、その杖に秘められた無限の教えを自由自在にお使いになれたということだと思う。

只の棒もつかい方によって、先生にも神にも、そして宇宙にもなるわけだが、人の体もそのように変わらなければならないだろう。
例えば、手である。手をつかい方によって変えて行くのである。只の手を剣に変えるのである。そのためには、手を剣と見立てた手刀で、縦、斜め、横の左右に切り下げ、切り上げ、薙ぎ払い、そして突きと9動作で鍛えるのである。
更に、この手刀の手を、手首、肘、肩、胸鎖関節を支点とする部位に分けてつかうのである。
これが使えるようになると、手は只の手ではなく、刀になるのである。手が刀として使えるようになれば、更に合気剣になり、宇宙と一体化した剣と技がつかえるようになり、宇宙との一体化に近づくことになるはずである。

このように棒も体の手も、本来は何もしてくれないので、こちらから働きかけなければならない。全てのモノには、大先生の棒で説明したように、宇宙が入っているわけだから、宇宙が入り、宇宙が働いてくれるように、こちらから働きかけなければならない。昔から、「鰯の頭も信心から」でもある。
本部道場の稽古の後に掃除をするが、掃除に使う雑巾や箒もただのモノと思って使ったのでは、意味がない。そして身の回りのすべてのモノを先生であり神様であり、そして宇宙であると思うようにならなければならない。これは「馬鹿とハサミは使いよう」と言ってもいいだろう。