【第647回】  有川先生の教え

本部で教えて頂いていた有川定輝先生が亡くなられてもう10数年になる。先生には、見えない世界で、今もいろいろお教え頂いているし、お叱りも励ましも頂いているので、10数年経ったとは思えないのである。

本部道場の正面床の間の上には、大先生と二代目道主が稽古人達を見守っておられるので、大先生と吉祥丸二代目道主に恥ずかしくないような稽古をしようと心がけている。こんな事をすれば、大先生はきっと、かってのように烈火の如く怒られ、門人たちは身を縮めて反省しながらお説教をお聞きしただろうと想像したりしている。後進や新しい稽古人達は大先生を知らないから、ただの写真としか思えないようで、大先生がご覧になったら烈火の如く叱られるような事を平気でやっている。例えば、道場で脚を投げ出すとか、木刀や杖で打ち合うとか、杖の何とかの型を教えたりすることである。
かって大先生に叱られることがあるようなことをやっている人を見ると、過って先輩が注意していたように、今、私は足を投げ出している稽古人を見掛けたら注意をするようにしている。

これが大先生の教えの一つであるが、今度は、有川先生の教えに話を移す。
20年ほど前に『ビジネスのための武道の知恵』という本を出版して、有川先生にも贈呈させて頂いた。数日して、先生からあの本読んだぞといわれて恐縮した。わざわざ読んで下さったこと、それも数日で読んで下さったからである。そしてまた、先生の言葉は意外にも、自分の言葉で書いているからよかったということであった。しかし、私自身が書いたわけだから、自分の言葉なのが当然なのに、先生はわざわざ何故そう言われたのか、その時は分からなかった。それよりも、先生の事はよく存じ上げていたつもりだったので、まだまだ未熟だ、浅いとか、ここは違うなどとご指摘をうけるかと思っていたのだから、面食らってしまったのである。

今になって思い返すと、当時は武道の関係書籍がどんどん書店にならんで、武道に多くの人たちが関心を持った時期であったと思う。しかし、大半の武道書籍は、内外の武術の紹介や古典武道・武術書の引用や解釈であった。

有川先生は、世に出て、目に触れた武道・武術書はほとんど購入され、お読みになったようだ。
先生の本に目を通される速さは並みの速さではないし、それに次のページをめくる指先の動きも美しいものだった。われわれが指を舐め々めくるのとは大いに違った。よほど多くの本を集中して読まれた結果だとお見受けしていた。

先生は神田の古本屋や新宿の紀伊国屋などで、時間があれば興味のある本がないかご覧になっていたようだ。そして、興味のある本があれば、即購入されていたようだ。
私も一度、偶然に先生と本屋でお会いしたが、近くにあった本を指さされてこの本はいいぞといわれたので、それを購入した。それは相当分厚い値の張る本であるだけでなく、合気道とか武道には直接関係がない本であったが、折角の先生ご推薦の本であるから購入した。それは日本舞踊の最高峰と言われた武原はんさんの『舞踊の研究』という本だったと思う。この本は購入した日にパラパラと目を通した程度であったが、後日、合気道に大いに役立つのである。流石に有川先生である。

先生は、いいと思った本を見たらすぐ買えといわれた。検討して後でとか、明日とかいっていると、その本はなくなってしまい、二度と現れないので買えなくなるというのである。確かにその通りだと思い、高かろうが重かろうが、それからはそうすることにしている。

因みに、興味のある本を見つけるたびに即買われた有川先生は、どんなに本をお持ちなのか気になっていたが、風の噂で、本やビデオテープ等の重みで先生のお住まいの床どこが抜けてしまったということだったのである。
先生はビデオ取りもされていたし、ビデオテープも沢山お持ちだったのである。私も先生をお撮りしたテープは必ず差し上げていた。

ある時、有川先生は、自分が今一番いいと思っている本(武道書)は、吉丸慶雪氏の本、例えば『合気道の科学』といわれたのである。勿論、その理由は言われなかったが、ちょっと照れながら、他人がどういうか知れないが、自分はこれが一番いいといわれたのである。
私もこの本だけでなく、すべての吉丸著書を読んでいたが、有川先生がその書をそれほど評価されていたのが不思議であった。

そして前述の、私の本が自分の言葉で書かれていることが、有川先生に評価されたことに結びついたのである。
吉丸氏はその本の中で、日本人は引く文化、西洋人は押す文化などと独創的な発想をされていた。出版後、大きな論争や反論を受けることになったのだが、有川先生はその独創的な発想を「自分の言葉」と言われていたようである。
私の『ビジネスのための武道の知恵』も、そういえばそれまでにない、武道お知恵は武道の世界だけではなく、ビジネスの知恵にもなるという考え方を、自分の言葉と評価して下さったのだと思うようになったのである。

この有川先生の評価して下さった「自分の言葉で書く」の教えが、先生がお亡くなりになられて、孤独の修業を続けて行く支えになっていると思えるのである。人についていくとか、人に教えて貰っている内は、何の問題も悩みもなく稽古ができるだろうが、先生方や先輩が居られなくなり、自分が自分に教えてもらわなければならなくなると、「自分の言葉で書く」の教えでやるしかないのである。勿論、これでいいのか自信があるわけではない。しかし、何かを土台にしてやらなければならない。それを頑張ってやれと後押ししてくださるのが、有川先生から頂いた「自分の言葉で書く」の教えなのである。

文も長くなったので、先生の教えをまとめてみると、この「自分の言葉で書く」の教えのほか、というより関連して、「自分の考えを持て」、「本を読め」「勉強しろ」、「合気道や武道だけでなく、いろいろな分野や世界から学べ」、「世の中には各分野で名人や達人など素晴らしい方々がいるから、その方々のやることやいう事から学べ」、それに「合気道は大先生の教えに従え」などである。

最後にも一つ先生の教えを紹介する。それは武道の原点である教えである。つまり、少なくとも武道に関連することは、浅くてもいいからすべて知らなければならないという教えである。
具体的には、杖道の道場にいって、杖道とはどんなものか見てこいと、先生に言われたのである。そこで三軒茶屋にあった(今はない)神道夢想流杖道道場に連絡して、見学をさせてもらった。
翌日、有川先生に見学させてもらいました、そして入門してきましたと報告した。先生は満足されるだろうと思っていたところ、入門したのかと急に不機嫌になられてしまい、悲しそうに、合気道をやっているのに他の武道をやるのは、合気道を冒涜することであり、合気道に失礼だろうと言われたのである。その時は、その失礼の意味がよく分からなかったこともあって、杖道は半年ほど続けた。そして止め、合気道に集中することになる。今では、確かに先生の教えのように、他の武道も一緒にやることは、合気道に失礼であると心から思う。

そして再度、有川先生から、武医道と言う武道があるから見て来いといわれたのである。電話をして見学を依頼したが、合気道をやっているといったら、合気道をやっているなら同じようなので見ても参考にならないからと、体よく断れそうになったが、何とか見学の許可が取れて伺った。宗家の簾内先生の自宅の10丈ほどの部屋で6,7人が相対で技を掛け合ったり、先生の受けを取ったり、説明演武を受けていた。確かに合気道と似ているところが多くあった。先生と生徒のみなさんとも打ち解けて、稽古後には、いつも食べるというソーメンを一緒に頂いた。勿論、今度は、入門しなかった。

有川先生からは、今思い出せば、まだまだいろいろな貴重なことを教わっている。いつか詳しく書いてみることにする。