【第642回】  合気道の稽古の基本的前提

合気道は技を錬磨して精進する武道である。形稽古を通して宇宙の法則を見つけ、それを技に取り入れ、宇宙を少しずつ身につけ、そして宇宙と一体化しようとしているのである。
初心者などは、そこまで考えないで、合気道の基本の形を覚えようと頑張っているわけだが、初心者だけではなく、有段者でも、その高尚な合気道の稽古をするに当たって、誰も教えてくれないし、言わないようだが、合気道の稽古の基本的前提を無視しているように思えて仕方がない。

誰も言わないのだから、無視してもいいだろうと思うのは勝手だが、それを無視したら、武道としての合気道の上達は無いように思う。
それでは、合気道を稽古するに当たって、どのような基本的な前提があるかということになるが、今回は三つ挙げる。

まず、合気道の稽古の基本的前提とは、それを知らなかったり、意識しないで稽古をしても、上達はあり得ないだろうという事である。

最初の前提は、合気道は武道であるという事である。武道にはいろいろな解釈がるだろうが、ここでの前提は合気道の武道、武道としての合気道の武道である。スポーツとも格闘技とも違う。
武道である合気道には、大乗の武、愛の武がある。小は相対稽古の相手の精進をサポートしたり、大は万物の生成化育を乱すものを取り除き、地球楽園建設のために働くための武である。
そして、敵を殲滅する武術的な小乗の武がある。

この大乗の武と小乗の武を兼ね備えた武の稽古をしなければならないわけである。だから、稽古を積めば積むほど厳しい武の稽古になるはずである。
また、このような、小乗と大乗を兼ね備えた、相反する二面性のあるモノは他のスポーツや武道にはないと思われるので、心しそして合気道に感謝を込めて稽古をしていかなければならないだろう。

次の基本的前提は、合気道の体の動きは、その多くが剣から来ており、手は手刀としてつかわなければならない、ということである。多くの稽古人の指や手先が曲がったり、縮んでいるのは、この基本的前提を意識しないからであろう。手先は伸ばし、手を名刀のように、刃筋を立てて、折れ曲がらないようにつかわなければならないのである。

三つ目は、相対稽古での受けは、最後は受けを取らなければならないが、本来の役割は、技を掛ける取りに対する攻撃である。正面打ちや横面打ちで攻撃したり、相手の手を掴んで相手が動けないよう(昔なら、刀を抜かせないよう)するわけである。しかも、最初だけでなく、最後の受けを取るまで攻撃の気持ちを失わないことである。スキがあれば、当身を入れたり、それが難しければ、気持ちで当身を入れたり、手刀で切ったりすればいい。
受けがただ最初に攻撃し、そして最後に上手く受けを取ればいいと、ただ漫然と稽古をしていては、受けを取る自分の稽古にもならないだけでなく、技を掛ける取りの稽古にもならないのである。相対稽古で上達するためには、受けがしっかり攻撃し、受けにスキを見せない稽古をしなければならない。

この他にも前提はあるだろうが、先ずはこの三つの前提を身につけた上で、法則に則った体づかい、技づかいの技の稽古をしていくことである。
尚、この三つの前提を無視して稽古を続けても、技の上達には限界がくると考えているから、まずは、合気道稽古の基本的前提を取り入れて稽古をしていくべきだろう。