【第639回】  100%否定されなければ信じる

我々は合気道を修業しているわけだが、「合気道は形はない。形はなく、すべて魂の学びである。」(「合気神髄」P17)と言われるように、姿や形がない魂を学んでいるのである。
まず、見えない魂を学ぶことだが、この見えない魂を、実際には見える世界(顕界)で学ぶのである。しかも、見えない魂を、見える顕界で現わさなければならないのである。ここにも合気道の難しさがあるわけである。

魂だけではなく、形がなく、見えないモノで、学ぶべきことは沢山ある。思い当たるだけでも、陰陽、十字、天地の気、天地の呼吸と地の呼吸、阿吽の呼吸等の他に、須佐能の大神、天の村雲九鬼さむはら竜王等の多くの神様たちである。

しかし、最も難解なもので、何としても学ばなければならないのが「気」であろう。
しかし、「気」や「気力」を大先生は魄と捉えられておられるようなので、見えるモノに近いはずなので学びやすいはずなのだが、気が難しいという事は、本当に見えない「魂」をはじめ、神様たちを学ぶのは相当に難しいことを覚悟しなければならないということだろう。

さて、形のない、見えない「魂」や神様たちを学ぶにはどうすればいいのかということになる。結論から云えば、それらの形の無いモノで見えないモノを信じる事である。その存在と働きを信じるのである。「魂」も神様も存在し、大きな力や素晴らしい働きをしてくれることを信じるのである。

現代社会では見えないモノは信じない傾向にある。それは正しい面もあるが、半分は間違っているかもしれないと思う。何故ならば、100%完全に存在しない事や正しくないという事が証明されていないからである。
合気道では形の無いモノ、見えないモノを信じなければ精進できない。世間は魂や神を否定するだろうが、100%否定できないはずである。
だから、見えないモノでも、自分が信じたいモノ、信じた方がいい事が、100%完全に否定されることがなければ、信じればいい。何故ならば、信じなければ合気道の精進はないことになると考えるからである。

しかし、それを人に強要しては駄目である。強要するなら、100%完全に証明できなければならない。