【第634回】  技の速さは息づかいで

合気道は技を錬磨して精進していくが、この精進には終わりがない。技を掛け、受けを取る稽古をしなくなったら、合気道の修業は終わることになる。体が続く限り、稽古をしていかなければならない。

稽古をしているのは、一般的には相対での形稽古である。受けの相手に技を掛けて、己の掛けた技の良し悪しを判断し、改善していくのである。
はじめの頃は、精一杯技を掛け、受けを取って、体が動かなくなるまで稽古をするだろうが、長年稽古を続けていると、年を取ってくる事もあり、一時間も二時間も精一杯稽古をすることなどできなくなってくる。
また、初心者や若い相手を思い切り投げたり、決めたりしたのでは、相手によっては5分と持たないだろうから、相手に合わせる稽古をしなければならない事になる。

最早、先輩もいなくなってくるようになると、思い切り投げて貰ったり、また、こちらが思いっきり技を掛けて稽古する事もなくなってくる。
しかし、常に上達する稽古をしなければならないわけだが、どうすれば上達できるかということになる。
合気道は武道であるが、人間の能力がここまでできるのか、ということが知りたいし、身につけたいと思っている。これは合気道を始めた時の夢であったはずである。指先一本で敵をやっつけるとか、電光石火で動いて敵を制するとか、摩訶不思議な技をつかったり、人間とはここまでの能力があるのかと知ることである。

初心の夢を実現するに当たっても、やはり相対での形稽古で精進していく他ない。勿論、一人稽古や研究も必要であるが、基本は形稽古である。
相対での形稽古では、いろいろな相手と手合わせをすることになる。女性や初心者ともやることもある。しかし、どの稽古でも精進しなければならない。

そのためには、どんな相手とも仲良く稽古をしなければならない。仲良く稽古をするということは、別々の人間が一つになって動く稽古である。1+1=1の稽古である。
この稽古をするためには、長年修業にある者が相手に合わせ、相手を導いていかなければ稽古にならない。技を掛ける際の速さを、相手に合わせて導いてやるのである。初心者には、相手に合わせるとか、力の強弱や技や動きの速い遅いを調節することなどできないから、上級者がリードすることになる。上級者は、稽古相手によって技を速くつかったり、ゆっくりしたり、また、強く決めたり、そっと決めたりしなければならない。

技を速くつかうとか、ゆっくりつかうのは意外と難しいものである。初心者はゆっくり動けばいいと思って、通常より速度を落として動いているのだが、動きに段差ができて、動きがぼつぼつ切れており、技にならないものである。

それではどうすれば技と体の動きの速さ・強さは自由に調節できるかというと、息で調節するのである。体での調節だと、ぼつぼつ切れた動きになり隙ができるので、そこを攻められれば吹っ飛ばされてしまう。

息はイクムスビでやればいい。特に、息を引くクーを上手くつかわなければならない。
息によって、技も体の動きも自由になる。早くも遅くも、強くも弱くもできる。相手によって、極限の速さを追求すればいい。しかし、大抵の場合、そういう相手はいない。速度も力もセーブしなければならない。しかし、セーブばかりしていたのでは稽古にならないので、なんとか自分の稽古になるようにしなければならないことになる。

理想は、極限の速さ(電光石火、勝速日)であるが、極限の速さと極限の遅さは比例していると考えるから、相対稽古では、極限の遅さで技をつかえばいい。そうすれば、それに反比例して、己の技は速くもなっているものである。
だから、相手によって極限の速さで動けなければ、極限の遅さで稽古すればいいことになる。これで己も相手もいい稽古ができて、ハッピーになりわけである。
これならばいつまでも、誰とも、どこでも稽古を続けられるはずである。