【第631回】  学ぶから教えを受けるへ

習い事は、まず先生や師から基本的な事を学ぶ。合気道も習い事である。
習い事は、好き勝手にするのではなく、まずは無心で先生・師の教える通りに学ぶのがいい。従って、教わる先生・師は大事であり、いい先生・師を選ばなければならないことになる。昔は、師は三年かけて探せといわれていたと聞く。良くない先生・師についたら不運であり、悲劇である。

基本的な事を学ぶ時期が過ぎると、次の段階に入ることになる。今度は自主的に研鑽する道を進むことになる。学んだ基本的な事を土台にして、それを更に深めたり、応用したり、新たなモノをつくっていくのである。
しかし、自分の力だけでやっていくのは、まだ難しいので他の力をつかわなければならないことになる。それは先生・師、そして仲間や先輩である。
だが、先生・師は前段階のようには教えてくれないはずである。形は教えられるが、技や見えないモノは教えられないからである。だから、例えば、師・先生の技を注視し、それを真似するのである。つまり、技を盗むのである。更に、先輩や仲間に技をつかってみたり、試し、先輩や仲間のいいモノを取り入れていくのである。

次に、人ではなく、森羅万象から学んでいくのである。そして、その学んだモノを極意に取り入れていくのである。大先生はこれを、「合気というものは、森羅万象どんなものでも、極意に取り入れていかなければならない」と言われている。潮の干満、谷川の水の流れ、嵐、木々や草花等々から極意が得られると言われているのである。
また、大先生は、「神羅万象は武道における大なる教えであります」とも教えられている。
しかし、この段階の学びもまだ不完全なのである。何が不完全かというと「心」である。

大先生は、森羅万象から極意に取り入れるということは、他人のモノを盗むという「天の賊」になってしまう、といわれるのである。そして「取り入れる」のではなく、「教えを受ける」というようにしなければならないと言われるのである。要は、心の持ち方である。天に対する姿勢である。

森羅万象、天、宇宙から教えが受けられるようになれば、真のもの、例えば、真の技を生み出せるようになるはずである。何故ならば、大宇宙とはモノを生み出すところのものであると言われるからである。

習い事である合気道を学ぶにも、このような段階があり、その段階を上がっていかなければならないと書いた。
これを簡単にまとめてみると、次のようになるだろう。

1. 段階: 先生・師からの受動的な学び・・・・・・・・・主に形を学ぶ
2. 段階: 先生・師・先輩・仲間からの積極的な学び・・・形>心
3. 段階: 森羅万象からの極意を取り入れていく学び・・・形<心
4. 段階: 森羅万象・天・宇宙から教えを受ける・・・・・主に心の学び

己の学んでいる立ち位置(段階)を認識し、その段階での学ぶべき事をしっかり学び、最終の森羅万象・天・宇宙から教えを受ける段階の修業に入りたいものである。