【第622回】  わからなかったら原点に戻る

正面打ち一教に苦労している。一時は上手くいったと思うこともあったが、中々満足できないでいる。勿論、大抵の相手を倒すことはできるが、まだまだ腕力や勢いに頼っている。理に合っていないから、相手も心からは納得していないようだし、己自身も納得できていない。

有難いことに、私には正面打ち一教の理想のイメージがある。それは本部で教えておられた有川定輝先生の最晩年の一教である。スキのない、無駄のない盤石な態勢で、どんな相手でも自由自在に導かれてしまい、柔術の時代でも十分に通用すると思うが、柔術臭くないのが魅力である。
先生は何故できるのか、もしかしたら先生にしか出来ないのではないか等悩んでしまう。

そこで思い出したのが、有川先生はあらゆる武術を研究されておられたということである。多くの文献や書籍を買い集められ、その重さでお住まいの床が抜けてしまった話は有名である。そして大東流柔術も研究されたといわれていた。「俺は大東流の技は数百手しっているからな」と言われたのを聞いた事がある。当時は、ああそうですかぐらいに聞き流していたのだが、実はこれが、有川先生の実践的で華麗な技のもとでもあると気づいたのである。

合気道では入門してはじめに教えられるのが一教だろう。しかし、最も難しいのも一教だと思う。合気道の技(正確には形)はそれほど多いとは思わないが、これを形にし、また名前を付けるに当たっては、大先生と吉祥丸道主は大変なご苦労をされたはずである。勿論、開祖が稽古をされた剣道や大東流柔術などの技や動きを合気道の形に取りいれられたものも多いはずである。

そこで正面打ち一教である。これは敵が切ってくる剣を制することから来る技である。だから、相手が切ってくる剣に切られないよう、その剣を制して、そして抑えなければならないことになる。
この動きが分かり易いのが、大東流柔術の「一本捕」である。「一本捕」では敵の剣を制するために、下図のように片手で敵の肘を突き上げるのである。これが敵の剣に切られないポイントである。

因みに、大東流合気柔術ではこの「一本捕」を合気道の一教同様重視しており、「一本捕から始まり、一本捕に帰ってくる」といわれているという。

この敵の肘を突き上げる効果がよくわかるのは、正面打ち一教の裏である。初心者の大半は、肘を突き上げず、先に振り上げた手で敵を何とかしようとするので上手くいかないのである。手と足は左右完全に陰陽でつかわなければならないのである。

今回改めて分かったことは、この正面打ち一教のように上手くいかずに行きづまった場合は、先人の教えに学ぶことである。先人たちがつくり上げてきた人類共通の遺産をつかわせてもらうのである。これが過去につながることだと思う。過去につながったものは、未来にもつながるだろうし、後進たちが継承することになるだろう。
過去とそして未来につながる、大先生に言わせれば、技は過現未(過去現在未来)を胎蔵していなければならないということだろう。

有川先生の正面打ち一教の素晴らしさは、相手を制する柔術的な技を根底におくも、敵味方を超越した、宇宙規模の合気の技にされたことだと考える。過去の遺産を引き継ぎ、根底に置き、未来に結びつけたことだと考える。
正に芸術と云える。