【第621回】  気を感じる

「合気はすべて気によるのであります」とか「合気は十分気を知らねばならない。武の気はことごとく渦巻きの中に入ったら無限の力が湧いてくる」(合気神髄p88)と開祖がいわれているのだから、「気」を知らなければならない。当然、誰もがこのことは承知しているわけだが、「気」が本当にあるのか確信できないし、「気」とはどんなものか、どうすれば「気」を鍛えていけるのか等がわからないのが実情だと思う。

そこで、今回は身近に「気」を感じることによって、「気」の存在を確認したいと思う。
まず、もうお亡くなりになってしまわれたが、大先生や有川定輝先生の傍にいた時は、何か大きな威圧を感じ、息苦しさを覚えたものだが、これが先生方が身にまとわれ、発散されていた「気」だと思う。大先生(開祖)は、「気は自分の衣服であると感得する。自然に空気に自分の身が接触して、天地自然の衣服を与えられている理を感じられる。(武産合気 P.96)」と言われているのである。
勿論、大先生や有川先生以外でも、「気」を感じ、威圧を感じることはできるから、そのような緊張する機会をつくるのがいいだろう。

また、あどけない子供や幼児からも、強い「気」を感じることが出来る。これは最近になってからで、以前は子供からそんな「気」を感じたこともなかった。
大先生は子供や女性には非常に優しかったが、それは純で天真爛漫の子供の「気」や自然な女性の「気」によると考える。
人は誰でも「気」をまとい、発散しているはずだが、子供や幼児の「気」は純粋で、何ものにも邪魔されることなく発散し、宇宙の「気」と合気していると考える。開祖は、「合気というものは、宇宙の気と合気しているのである。合気は天の科学である。精神科学の実践を表しているのである。」といわれているわけだから、己の「気」と宇宙の「気」を合気しなければならないと言われているのである。

更に、稽古の前と後に大きな違いが出てくるが、その最大の違いが「気」だと考える。稽古が終わっての帰りは、体が緩み、体のバランスが整い、ルンルン気分である。しかし道を歩いても、電車に乗っても、こちらは普段と同じ振舞をしているにもかかわらず、周りの反応は稽古の前と全然違うのである。それは周りが意識するわけだが、それはこちらが稽古で培った「気」を感じるからだと思う。特に、若い女性はその「気」を敏感に感じるようだ。

これらは誰でも日常体験しているはずである。これらの体験を「気」と合わせて考えてみると、「気」というものが少しずつわかるようになるのではないかと思っている。