【第612回】  魂の働きを魄に現わす

合気道は魂の学びであると云われるわけだから、相対稽古での技の錬磨では、魂の働きによって技をつかうようにならなければならないことになる。しかし、魂は見えないし、掴めないので、魂で技をつかうのは難しい。だが、一度には出来るようにならなくとも、少しずつその境地に近づいていくほかないだろう。

まず、これまで分かっていることが幾つかあるが、その一つに、魄を土台にして、魂を表にして技をつかわなければならないことである。体を鍛え、体力や筋力をつけたら、今度はその魄(体力、筋力)で技をつかうのではなく、それを下(土台)にして、魂(心、気持ち)で己の体(魄)、そして相手を導いていくのである。
勿論、これも容易ではないはずである。宇宙法則に従った陰陽や十字に体がつかえなければならないし、イクムスビや阿吽の呼吸で身体がつかえなければならないからである。
更に、魂魄の正しく整った状態である「天の浮橋」に立てなければならない。これは霊(魂)の世界と顕界(魄)の世界の両次元にある状態であると考える。

この「天の浮橋」に立つと、体(手)と心が相手とくっつき、相手と一体化する。一体化するためには、魂(心、気持ち)が上下左右に隔たらないことである。例えば、相手を倒してやろう、決めてやろうと思って手を出しても、相手とはくっつかない。相手は己の稽古を助けてくれる仲間であり、自分の分身であるという思い「愛」で手を出すのである。この心、気持ちが相手と一体化し、そして相手が動くのである。初めから、力で相手を動かそうとしても、相手よりよほど力や体力がなければ難しいはずである。
これが魄(力)を下(土台)にして、魂(心、気持ち)で己の体(魄)と相手を導くということになると考える。

魂と魄の関係でもうひとつ分かったことがある。それは、魂は見えないし、掴めないが、その働きは感知することができるということである。つまり、魂の働きは魄に現れるという事である。魂の働きが感知できれば、魂の存在と働きを信じられるわけである。

前項での天の浮橋に立っての相手との一体化では、相手の手とくっついているわけだが、押したり引いたりしないので、相手はただ相手の手に触れていると思うだけであり、相手も天の浮橋に立たせたことになる。実際は、一体化しているので、相手の体(正確には心体)はこちらの分身として自由に動かせるのである。

それはさておき、今度はこの後に、相手にこちらの手を引っ張らせるように息と心で導くのである。そうすると持たせている手の部分に相手の気持ち(魂)が集まり、相手が浮き上がってくる。ここで己の手(魄)を動かすのではなく、こちらの心(魂)で相手の魂を導くと、己の体(魄)とそして相手の体(魄)が動くのである。
この魂の働きが、体(魄)に現れるわけである。それもこちらの体(魄)だけでなく、相手の魂と魄にも表れるのである。

ここから、云えることは、相手が倒れるのは己の心・気持ち(魂)で倒れるということ、それ故、相手の気持ちを動かさなければならないこと、そして相手の気持ちを動かすには、こちらも気持ち(魂)でやる必要があるということである。
魂の働きが魄に現れるようにしたいものである。