【第604回】  撞木(しゅもく)の足づかい

合気道での精進の基本は形稽古であろう。通常、二人で組んで、技を掛け、受けを取り合う稽古である。お互いに右と左、表と裏と4回技を掛けたら、今度は4回受けを取る。これを入門してから稽古の続く限り繰り返していくわけである。初心者も高段者も関係なく、一緒に組んで同じ形(技)を稽古するのである。

素晴らしい稽古法であるが、この稽古を数年続け、形を覚え、力が着き、体が出来てくると、一つの問題が出てくる。
それまでお互いに素直に技を掛け、そして受けを取り、二人が一組になって流れるような動きの稽古をしていたのが、動きが止まったり、お互いがぶつかり合ったり、そして場合によっては、お互いが力み合って頑張り合うという争いになることである。

これは誰もが経験するはずである。
頑張るのは、通常、受けの側である。受けは、相手が何の技(一教とか、四方投げ)を掛けるのか分かるわけだから、頑張ろうと思えば頑張ることは容易である。
受けに頑張らせたら、技を掛けるのは容易ではなくなる。受けが力一杯打ち込んだり、手などを力を込めて掴むと、技を掛ける側に十分な力と技量がなければ、手や体を動かすことができなくなり、頑張り合いの争いになってしまう。

多くの初心者は、大体この状況の中にあるように見える。そして争いを避けるために、相手に刺激を与えないように、力を抜いて技をつかったり、自分のやりやすい、知った相手とやるようにしているようだ。
しかしながら、上達するためには、自分の限界を超えるように、力一杯、気力満杯で技をつかわなければならないから、力をセーブしたり、やりやすい相手とばかりやっていたのでは稽古にならないはずである。

だから上達していくために、この争いの問題から逃げるのではなく、克服・乗り越えなければならない。
有難いことに、合気道はその問題を解決できるようにできているのである。 これがまた素晴らしい。合気道は、初めは誰にでも容易に出来るよう、そして今度は課題を与え、更にその解決策を教えてくれるのである。

まず、形稽古で争いが起こるのは、形(一教、四方投げ等)で相手を倒そう、決めようとするからである。相手もその形を承知しているから、ちょっと頑張られたら決まるものではないし、倒れるものでもない。受けの相手がちょっと臍を曲げて頑張ったら、よほどの力の差がなければ相手を倒すことはできないものである。

この問題を解決するためには、まず、形ではなく技をつかわなければならない。形から技への変更である。開祖が云われている、例えば、陰陽、十字などである。宇宙の法則に則った、体づかい、息づかいで、宇宙の営みと一体となるような技づかいである。

また、開祖は、技は「円の動きのめぐり合わせ」とも教えて下さっている。
円の動きをつかわないと、直線的になり、必ず相手とぶつかることになり、相手を争いに導くことになる。ということは、争いが起こる原因は、受けではなく、技を掛ける側にあるわけである。

争いの原因には、物質的な魄と精神的な魂、すなわち、見えるモノと見えないモノがあるようだ。上記の争いの本は、どちらかというと見えるモノ、見える世界のモノであるが、見えないモノ、見えないモノの世界でも争いを避けるモノがあると開祖は教えられていると考える。

まず、開祖は、まずは、天の浮橋に立たなければならない、と言われている。相手の前に立ったら、相手をどうこうしようと思うのではなく、上下前後左右偏らず、雲の上にあるような心になるのである。
そしてその気持ちで相手と接して、相手をくっつけてしまい、相手と一体化するのである。相手は自分の一部になるわけだから、反抗することは難しくなる。

この天の浮橋に立つためには、開祖が云われる「愛」が大事になる。稽古の相手に愛の気持ちを持つことである。相手を思う気持ち、相手の立場に立っての心である。己だけではなく、相手のためになるように稽古をしようという気持ちである。
何故、愛の心が生まれるかというと、相手も地上天国完成に尽くそうとして稽古をしている仲間であり、同士であるからである。身近な家族や知人・友人に持つのと同じである。

更に、争いをさけるために、稽古相手だけではなく、周囲の人たちにも争う気持ちを起こさせないために、挨拶をすること、そして挨拶を返すことである。
以前にも書いたが、本部で教えられていた有川定輝先生は、誰からの挨拶も返されておられた。先生ぐらいなら、こんな人からの挨拶をわざわざ返される必要はないのにと思っていたので、一度、どうして、誰にでも丁寧に挨拶を返されるんですかとお聞きしたら、一言、「敵をつくらないためだ」と言われた。
挨拶し合えば、争いは少なくなるのは確かである。
また、同じように、「有難う」と言うのも、争いを避ける大事なことであろう。

合気道の形稽古で、争を避ける稽古をし、それを世間に知らしめ、世界を争いのない平和な社会へ、地上天国完成のお手伝いをしたいものである。