【第595回】  意識から無意識、そして意識の稽古へ

合気道に入門して稽古を始めた頃、先生が皆の前で示された基本の形を、二人一組になってやるわけだが、先生は大体、右と左、表と裏の4回見せてくれるのだが、「はい、どーぞ」と言うだけで、形の名前や、形の説明はしてくれなかった。我々初心者は、それが何という形なのか、どのように体(手足)を使えばいいのかなど分からず、顔を見合わせたり、立ったはいいが何もできずに周りを見て、それに近く動こうとすることが精いっぱいだった。
そして何時も不思議に思ったのは、先生が示された形をちょっと見ただけで、すぐにできてしまう先輩は天才ではないかとさえ思ったものである。

後でそれは不思議でも、天才のなせる業でもないことが段々分かってきた。稽古を重ねるに従って、自分も先生がやられた形をちょっと見れば、同じ形が再現できるようになった。これを入門したての人が見れば、すごいと思うのだろうし、そして後になれば、なーんだこんなことかと思うはずである。

入門して形を覚えるまでは、先生の示す形を覚えようとする、意識の稽古である。先生の手の動き、足づかいをしっかり目で捉え、先生の注意や助言に耳を傾ける大脳を働かせる稽古ということになる。

この大脳を働かせて稽古をしていくと、「大脳の中である特定の回路が動き始め、そしてその大脳の回路が更に活発になると、自動的に小脳の方にそれとパラレルな回路ができる。この状態を習熟という」と脳学者の養老猛先生は言われている。

この小脳の回路で形ができるようになると、その動きは無意識でやっていることになる。
つまり、合気道の形稽古は、初めの大脳を働かせる意識した稽古から、小脳回路での無意識の稽古に変わろうとする方向性があると考える。歩いたり、走ったりするのと同じように、無意識でできるようにしようとするのである。
そして無意識で合気道の形が出来るようになると、これで自分は合気道ができたと思うのである。しかも、この期間が長く続くのである。

合気道は最後まで形稽古で精進していくが、形稽古で探究するのは「技の錬磨」である。この段階でそれまで身につけた形には、技が含まれておらず、中身のない形ということになる。ここからは無意識でできるようになった形に、技を組み込んでいくことになる。技とは、宇宙の営みであり、宇宙の法則である。例えば、陰陽、十字等である。

技を身につけるとは、宇宙の法則を見つけ、その法則を他の形で試し、試行錯誤しながら、技と体にその法則を取り入れていくことであろう。
これは大脳をつかう、意識した稽古ということになるはずである。これを頭を使わずに、やりたい放題、やりやすいように形の稽古をしてしまえば、技を見つけることも、身につけることもできないことになる。

初めは意識し、すこしでも早く無意識に動けるようになろうとして稽古してきて、無意識で動けるようになって喜んでいる所に、またまた意識をいれて稽古するのは非常に難しいだろう。人は方向転換を好まないし、実際に難しいと思う。

しかし、この意識から無意識、そして意識した稽古に変われなければ、次に進めない。稽古に終わりはないはずである。
ここで技を意識して稽古を続けて行くと、「小脳に新たなタイプの回路ができるのである。」(養老猛) 意識して稽古したもの(技)が小脳の新たな回路で無意識でできるようになるわけである。意識して無限の宇宙の法則に則った技を身につけていけば、それだけ多くの新たな小脳回路が開通し、それだけ多くの技を無意識でつかえるようになるわけである。

意識して稽古をしていけば、いずれ無意識でできるようになるのである。
だから、稽古は、意識、無意識、意識、無意識と表裏反転しながら精進しなければならないはずである。今のところは4回だけだが、更にこの反転は続くのではないかと感じている。


参考資料  『古武術の発見』(光文社文庫)