【第590回】  窮地からの脱出

合気道は形稽古を通して上達していく。一教や四方投げなどの形を繰り返し相対で稽古をしながら上達を目指すのである。10年、20年と稽古をしていれば、一教や四方投げなどの基本の形(技)は数千回、数万回やっていることになるだろう。
しかし、完全にできることはなく、常に何かが欠けたり、どこかが間違っているので、何とか完璧にできるように、形の稽古を繰り返しているのである。
更に、稽古を続けて行くと、人は決して完全な形(技)はつかえないことがわかってくるので、稽古の目標は完全・完璧ではなく、少しでも完全・完璧に近づくことが稽古だと思うようになってくる。

はじめの内は、形稽古をやればやるほど上達することは間違いない。形を覚え、体のつかい方を身につけ、体ができてくるからである。
しかし、段々と、稽古をしても以前のように上達したと思えなくなってくる時期がくるものである。相手が頑張って倒れないようになったり、今まで効いていたはずの技が効かなくなったりするのである。そうすると更に、がむしゃらに、力や勢いで相手を投げよう、抑えようとするが、ますます相手は倒れなくなるのである。

この時点で、日頃から見ていて下さる先生や先輩が、問題を指摘し、解決策をアドバイスしてくれれば、この窮地を脱出することができるだろう。
私の場合は、有川定輝先生であった。なかなか上手くできない呼吸法で、相手を体ごとぶつかって倒して喜んでいたところへ、先生が来られて、「そんな稽古をしていると、呼吸力はつかないぞ」と一言言われたのである。その時は、先生の言われることがよく理解できなかったし、相手を吹っ飛ばすのだから何で悪いかと一寸反抗心を持った。

しかし、自分が窮地に陥っていて、何とかそこから脱出しなければならない状態にあったので、先生が注意されたこと、そして先生が教えようとされていることを真剣に考えようと思った。
そして先生の稽古時間は、先生の一挙手一投足、言われた言葉の一言も聞き逃すまいと集中した。先生の言葉は、道場での稽古中のものと、稽古の後の食事でご一緒したときにお聞きした事等をノートに書いて置いた。期間は1999年2月24日から2003年3月22日である。これを繰り返し読んで勉強した。

何故、有川先生のあの一言に大きな説得力があったかと、今考えると、先生の稽古が、ある時から180度変わられたからである。敢えて言わせて貰えば、力の稽古から技の稽古に変わられたと言えよう。私の何十倍もの荒っぽい稽古をしておられたのが、大先生の合気道、真の技を追求し、呼吸力がつく稽古に変わられたのである。先生の時間に来る稽古人は、以前は10人前後であったが、先生が変わられるにつれて満員状態になったのである。
何故、先生が変わられたのか、先生にお聞きしたことがあるが、答えは、「病気だよ」ということであった。病気になられて、今までの稽古ではまずいので、変えなければならないということであった。先生は病気に教えられたわけで、病気が先生の先生だったのである。

有川先生の一言がなければ、今頃は私の体がぼろぼろになり、稽古を続けているかどうかは分からない。先生には大変感謝している。

誰でも必ず窮地に陥るはずである。窮地というのは、方向転換する時期、質の転換期、それまでと対称的な事をやる時期と言っていいだろう。
そこから脱出できるかどうかは、努力と運にかかっているように思う。努力をしていれば、いい先生や先輩の助言があったり、他の稽古人が示唆してくれるかもしれない。病気も教えてくれるだろう。
病気や怪我になったなら、それは窮地から脱出するための教えかもしれない。
それを捉えることができるか、会得することができるかは本人しだいであろう。