【第562回】  一つの形(かた)で色々な稽古

合気道は形稽古を通して精進していく。稽古をする基本の形はそれほど多くはない、が、形稽古を何十年やってもこれでいいということには決してならない。ということは、合気道の稽古は形を覚えることではないという事である。基本の形を覚え、身に着けることは大事なことであるが、これは基本であり、合気道の本格的な稽古の基なのである。

そもそも基本の形など2,3年で覚えてしまうものであるが、厳しくいえば、その形は中身のない形骸化した形なのである。何故かと云えば、技がないからである。
形稽古とは、形に技を満たしていくことと考えている。故に、最高の形は、すべて余すところなく技でつまっているものであり、形即技ということになるわけである。だから、四方投げを形とも言えるし、技とも言えるわけである。

技とは、大先生がいわれているように、宇宙の営み、宇宙の法則を形(かたち)にしたものである。
大先生は、合気道の技(形)には宇宙がつまっているし、誰にでもできるように出来ていると言われていた。つまり、宇宙の営みに則って、その法則に沿って稽古をすれば、老若男女、体力があろうがなかろうが関係なく、合気道の技は誰にでもできるようにできているといわれているのである。

合気道のすべての形は、宇宙がつまっている技でできており、その中には多くの教えがあるのである。一つの形だけでも無限の技があり、教えがあるわけである。
技とは教えであるとも考える。
合気道の形は外形や動きはそれぞれ違っているわけだが、すべての形には共通の宇宙法則が入っている。だから、ある形で一つの法則(技)を見つけ、身に着ければ、他の形でもそれが通用することになり、一つの法則(技)を見つけ、つかえるようになることは、他の形でもつかえるということになり、無限の発見であり、進歩ということになるのである。

一つの形だけでも無限の技があり、教えがあるわけだから、一つの形、とりわけ、自分に合った、自分が好きな形(かた)から無限の教えを得ていけばいいと考える。
例えば、形と言っていいかどうかわからないが、私がそれを追及している呼吸法で、どのような技(教え)を得ることが出来たのかを紹介しよう。(順不同)
○天の浮橋に立つ ○足の陰陽 ○手の陰陽 ○手と足の陰陽 ○手の十字と螺旋 ○足の十字 ○腰の十字 ○手先と腰腹を結ぶ(中心と支点) ○腰腹で手をつかう(末端ではなく中心を動かす) ○肩を貫く(中心から末端までの通りを良くする) ○イクムスビ ○阿吽の呼吸 ○天地の息に合わせる ○天の気に息を合わせる 等々である。そして分かったことは、これらが積み重なって、「呼吸力」が出てくるということであり、真の「呼吸法」、つまり、呼吸力の養成(法)が出来るという事である。

今後も呼吸法の稽古を続けて行くので、更なる教えを得られるはずであり、楽しみである。
勿論、他の形の一教や入身投げなどでも教え(技)を探し続けているから、新たな教えを得て、呼吸法にも追加されるはずである。
一つの形で色々な稽古ができるのである。あちこち一寸づつつまみ食いしないで、一つの形を基にして教え(技)を身に着けていくのもいいはずである。