【第547回】  何でも聞くな、感じろ

道場でよく、「何年、稽古していますか」と聞かれる。聞いてくるのは、大体、初心者である。かっては何年とか何十年やっていると真面目に答えたが、最近はまともに答えなくなってきた。不真面目になったから答えなくなったのではなく、真面目になったから答えないのだと思っている。

例えば、数年の稽古しかしていない初心者に、私が50年稽古をしていると言っても、あまり意味がない。何故ならば、その初心者の年数を計る尺度とこちらの年数尺度は違っているから、二人の年数の量と質、長さと中身は全然違ってしまうはずである。私が、50年稽古をしていると言っても、相手は自分の尺度の50年で想像することになるから、私の50年とは違ってしまうわけである。

だから自分の稽古年数など言う気になれないわけである。それでは、もし、相手が私の稽古年数や、どのぐらい稽古を重ねてきたのか、興味をもち、知りたければどうすればいいのか。それは直接稽古をしたり、稽古を見て、感じることである。そして自分の尺度で決めればいい。こちらの尺度とは違うわけだから、こちらの年数と違った答えを出すだろうが、それでいい。もし、私の稽古年数を知りたいと思う相手が、例えば、大先生や有川先生の生まれ変わりとも思われるような、才能があり努力家で稽古熱心な人なら、私の50年の稽古歴など、彼の尺度では、精々10年とか20年になるだろうし、その逆にある人なら、50年以上に感じるだろう。

相対稽古でも同じである。自分が上手くできないから、どうすればいいかと安易に聞いてくるが、その前に自分の体で感じることである。自分の技、動きが相手にどのような反応を起こさせるのか、じっくり感じるのである。
聞いたことを相手が答えたとしても、その感じのほんの一部しか言葉では答えられない。自分で感じることは無限であるはずだ。また、答える相手は間違ったことを言うかも知れないし、不十分にしか説明しないかも知れない。そこへいくと、自分が感じたことは真実であるから、すべて信用できる。
自分で感じ、自分で判断し、自分で結論を出していくのがいい。

更に、聞いてきた問いに答えても、下地が出来ていなかったり、そのレベルになければ、こちらが答えてもそれを実行できない。問う者のレベルに合わせて答えてくれればいいが、人はどうしても自分のレベルで答えてしまう傾向にある。だから、問う側と答える側はかみ合わないのである。その双方がかみ合うためには、自分の肌や五感で感じ、自分自身で回答を見つけていくしかないだろう。