【第542回】  魄の稽古を避けるために

合気道の稽古は、相対での形稽古である。入身投げや四方投げなどの基本の形で、受けの相手に技を掛け、また、受けを取って、形を覚え、力をつけ、体をつくっていくのである。
10年も稽古を続ければ、形を覚え、力もつき、体もできてくるので、相対の受け手を倒したり、投げるのは容易になってくる。そして合気道を会得した等と一時的に錯覚するものである。

しかし、更に稽古を続けていくと、受けの相手に一寸頑張られたり、力を入れられると、動けなくなったりしてしまったり、相手とぶつかり合い、争いになるようになる。

これは誰もが辿る道であり、一生懸命に稽古をしてきた結果であるから、正しい道を歩んで来たということで、恥じる必要はない。
しかし、問題はここからである。受けの相手とぶつからない、争いにならないためには、どうしなければならないのかを真剣に考えなければならないのである。
それまでと同じ稽古をしたのでは、結果も同じであるから、より激しいぶつかり稽古になってしまうのだが、稽古を変えるのは難しい。

この段階では、形(かた)で相手を倒しているし、形で相手が倒れると思っているが、形で人は倒れない。それを無理に倒そうとするから、力でやることになり、争いになる。中には、力が強ければ相手は倒れるだろうと、筋トレをしたり、鍛錬棒で力をつけている稽古人もいるが、大体は失敗しているはずである。
これが魄の稽古と云うことになる。

魄の稽古は力に頼った稽古になるから、ぶつかったり争いになる。争いのない稽古をするためには、魂とまでは云わなくとも、心の稽古に入っていかなければならない。
心の稽古とは、心で体を導き、技をつかうものである。心と体が表裏一体となり、心が表、上になるのである。しかし、心と体とは別物であり、異質のものであるから、それらを一体にする息(呼吸)の助けが要る。息によって心で体を動かすのである。
従って、技は息で掛けるといってもいいだろう。

息(呼吸)は、昔から行者が使ってきたイクムスビの息づかいである。イと吐いて、クと吸って、ムと吐くのである。この息づかいで技をつかっていけば、相手と争うことは断然少なくなる。また、ある程度の力には対応、合体できるようになる。

心の稽古、そしてイクムスビの息づかいが、魄の稽古から抜け出す基本であると考える。

次回は、「魄の稽古を避けるために」の具体的な稽古法を書いてみたいと思う。