【第50回】 反省と対策

合気道を稽古する人たちの目的はいろいろあるだろうが、誰でも少しでも上手くなりたいと思っているはずだ。
稽古を続けていれば上手くなっていくが、それは始めのころで、だんだんと頭打ちになってしまう。上手くなるためには、稽古をただ漫然とやっていては上手くならない。上手くなりたいなら、上手くなるように稽古をしなけれなならない。

上手くなるためにはいろいろな条件や稽古の仕方があるだろうが、その一つに、稽古の「反省と対策」がある。稽古の時間には幾つかの形をやり、技を使うが、すべて上手くいくことはまずない。必ず上手くいかないことがあるはずである。それをそのままにしておいて道場を出てしまったら、その問題はそのまま残ってしまう。稽古での失敗や上手くいかなかったことを敏感に感じ取り、それを反省し、その原因を見つけ、その解決をはからなければならない。それができれば、稽古中に失敗したこと、上手くいかなかったことが、かえって幸いしたことになるわけである。それ故、稽古では失敗してもいいと言われるのである。ただ、失敗を失敗のままにしておけば、ずっと下手のままになる。

稽古時間が終わっても稽古モードは残っているので、自由時間の自主稽古で前の時間であった問題の対策を考え、いろいろ試してみるのがよい。しかし、どの技にも共通するような基本的な問題等は簡単に解決できないので、自主稽古で毎回でもやってみるべきである。それでも、納得いくようになるまでには相当な時間がかかるだろう。

考えた技ややり方が上手くいき、これが問題解決の正解だと思っても、それは相手が弱かったり、ついてきてくれたからできたのかもしれない。正解かどうかの判定も注意しなければならない。その判定は自分の判断になるが、人それぞれに判断基準が違うので、合気道は人によって違ってくる。従って、人の数だけ合気道があるともいわれる。しかし、合気道の「道」というのは「理」(ことわり)ということである。技も動きも「理」に適ったものでなければならないのだから、「理」にかなっていなければ間違いといえる。

道場での自主稽古でも、時間の制限などで、じゅうぶんに問題解決が出来ないのが普通である。次の稽古時間までにその問題が解決できなければまた同じ失敗をしてしまうことになりかねないので、道場を出てもその対策を考えなければならなくなる。結局、道場帰りや家でも考えることになる。稽古は道場だけではないとはこのことである。

このような「反省と対策」の稽古をしていけば、長年のうちには上手くなるはずである。なぜなら、この「反省と対策」は、つまり自分との戦いになっているからである。他人との強いとか弱いの相対的な稽古から、絶対的な自分との戦いであるからである。人は自分には負けたくないし、本能的に自分を向上しようと思うものだ。「反省と対策」で上達しよう。