【第487回】  過去を土台に未来につなげる

合気道を始めて、早くも半世紀以上になる。入門してから5年ばかり、合気道開祖の教えを中心に稽古をし、その後は開祖の直弟子であったそうそうたる師範に教わってきた。二代目道主の植芝吉祥丸先生、藤平光一先生、斉藤守弘先生、山口清吾先生、有川定輝先生、多田宏先生、大澤喜三郎先生などである。本部道場は曜日によって先生が決まっているので、毎日、稽古に通っていたため、これらの先生に教わることができたのである。

この中で、多田宏先生以外の先生方はお亡くなりになられ、寂しい限りである。とりわけ残念なのは、これらの先生方からもう教えて頂くことが出来ないことである。

中でも忍耐強く導いて下さった有川先生が亡くなられたのは、大きいダメージであった。やっと合気道というものが解りかけてきたところで、理合いの稽古をしていかなければならないということなどに気づかされ、これから真の稽古ができるということで、有川先生にいろいろ教えて頂こうと思っていた矢先だった。

有川先生は開祖を非常に尊敬されており、開祖の教えを大事にされていた。有川先生を尊敬していた弟子たちにも、自分よりも開祖のいわれていることを学ぶように、「俺を目標にしないで、俺が目標とした開祖を思いながら稽古すればいい」といわれていた、と聞いている。さらに、「開祖に思いを馳せながら稽古しなければならない。課題を持ってやるだけなら練習だ。課題を持ってもいなければ、練習にもならない」ともいわれている。

有川先生は確かに開祖の教えをよく勉強し、身につけられておられたと思う。開祖の言葉をご自身なりに解釈され、我々凡人にも分かりやすいように教えられた。例えば、開祖がよくいわれていた「阿吽の呼吸」を、有川先生は「(合気道の特色は)シンプルということ。一呼吸で終わりますから」、難題な「気」を、先生は「宇宙生命力」とされるなど、非常に分かりやすいのである。

私が有川先生から教えて頂いたことに、合気道は本来は厳しいものである、というのがある。私もまた、合気道は武道であるから、稽古の根底には命のやり取りができるような厳しさがなければならない、と考えていた。

有川先生のことを、こわくて危険な先生と思っていた稽古人は多くいた。技を示す場合でも、受けの相手が壊れるのではないかと思えるほど、極限ぎりぎりで受け身を取らされていた。だから、先生なら、相手を生かすも殺すもいつでも自由自在にできるだろうな、と思って見ていた。

先生の技の厳しさは、入門され、修業された時期や環境や稽古仲間などによるだろう。当時はまだ柔術的な稽古が主で、負けることはできず、勝たなければならなかった時代だったはずだ。私が入門した頃でも、本部道場には道場破りが来たくらいであった。合気道のためにも、もちろん自分のためにも、誰にも負けることはできなかっただろう。

有川先生も、人に負けないよう強くなろうと、開祖のもとで研鑽されたのだが、他の武道も研究されていた。もともと空手をやっておられたが、大東流柔術の技も熱心に研究されていた。

有川先生の技の基本は、技が効くことである、といえよう。関節をきめる、倒す、ジョロウグモのように絡めてしまう、等々である。相手の戦意を無くしてしまうのである。

有川先生の技の厳しさを表わす言葉に、「武道なんて言っているから技がだめになるんだ、まあ武道というよりは武術だな」というのがある。

今の合気道、さらにこれからの合気道は、ますます紳士的な愛の武道になっていくだろう。しかし、合気道は武道であるということを忘れないで、稽古していきたいものである。

未来へ続くためには、過去につながり、過去を大事にしなければならない。過去を研究し、過去を土台にして、今の稽古をしなければならない。過去とつながっている現在なら、未来へとつながるものと考える。

過去を土台に、未来へとつながっていきたいものである。


参考資料  『七大学学生合気道連合会 有川定輝先生追悼記念誌』