【第467回】  法則を教えてくれる基本技 その4.「引力の養成」

宇宙天体にはそれぞれ中心があって、そこを中心に自身が回ったり、周囲を小さい天体物が回っていて、それらが複雑微妙に機能している。例えば、地球は自分自身で自転しているが、地球の周りを月が回り、月と地球やその他の惑星は太陽の周りを回っている。

この法則を合気道の技に取り入れるとすると、体の末端にある手は縦と横の円の動きで、体の中心の腰腹を中心に回っている。この法則がわかりやすいのは、四方投げであろう。

相対稽古の受けの相手には、こちらを中心にして回ってもらうのである。それが、手を振り回して中心のない手の動きをしたり、相手を回すのではなく自分が相手の周りを回ったりすると、法則違反ということになる。これが解りやすいのは、入身投げである。

さらに、無数の星が宇宙天体には存在しているが、衝突することも、気ままに離れ去ることもなく、バランスよく和合して機能していることからも、学ぶことができる。

争いもなく、仲よく天体で動き回っているのは、最適な距離を保っているからであろう。ぶつかったり、接触し続けるのではなく、一定の距離をおいて回っているからである。一定の距離を保つのは、回っている星をさらに近づけることも、遠ざけることもない、ちょうどよい距離にあるからである。ここでは、遠心力と求心力がちょうどよく働いていることになる。

合気道の技を錬磨していく上でも、この遠心力と求心力がちょうどよく働くように、力と体をつかわなければならない。出る力と引く力が+とーで0(ゼロ)にならなければならないのである。押し過ぎても、引っ張り過ぎても、技は効かないし、相手を納得させることもできない。

宇宙天体の星は、距離を保って回り合っているが、そこには引力が働いている。ニュートンが発見した万有引力である。いかなるものも、対照があれば引力が働くのである。引力が働いているから、星は軌道から外れず回り続けるのである。

技をつかう際にも、この引力は重要である。そもそも、合気道は引力の養成である、ともいわれているくらいである。

引力は、相対の相手に接する際にも、技をかけている間も、働いていなければならない。まず、相手が打ってきたり、手を取りに来た瞬間に、相手をくっつけてしまわなければならない。そうしないと、相手と一体になれないので、腕力や体力でやるしかなくなる。

この後も、相手を弾き飛ばすのでもなく、また引き込んでしまうのでもなく、相手を引力でくっつけて、合気道的にいえば「結んで」、技を納めなければならない。

すべてのモノの遠心力と求心力とのバランスがとれると、ゼロになる。これが、「天の浮橋」であろうと考える。また、引力とは、求心力と遠心力のバランスがとれてゼロになることによって出てくるものである、と思う。

開祖はよく、まずは「天の浮橋に立たなければならない」といわれていたが、この遠心力と求心力とのバランスをとって、引力を働かせ、引力で技をつかうようにしなければならない、といわれていたと考える。

天の浮橋は、一見すると本人には頼りなさそうに思えるかもしれない。だが、それは力まないと力が出ない、と思いこんでいるからである。

それが、天の浮橋に立つと、0(ゼロ)、つまり「無」の状態になるわけである。もし相手が力を込めてきたり、そのバランスを崩そうとすれば、元のバランスに戻すべく力(求心力か遠心力)が働くことになり、バランスを崩してきた相手は自ら崩れることになるのである。これは、かつて開祖が「わしは黙ってここに立っていればいいのじゃ。相手は自分から倒れていくのじゃ」といわれていたことであろうと思う。つまり、宇宙の秩序、条理、法則を乱す者は淘汰される、という教えだろう。

今回は「法則を教えてくれる基本技」というよりも、法則が中心になってしまったが、この法則を教えてくれる技は合気道のすべての技、と解釈して頂ければよいだろう。つまり、すべての基本技から学ぶことができる、ということである。

それでも、その中で最適なものというならば、技ではないがやはり呼吸法であろう。それにもうひとつ、これも技ではないが、逆半身で片手を持たせる転換法がよい。相手の手を引力でねばらせて、離れないようにし、そして、相手を遠心力で回してしまうのである。