【第454回】 効く技をかける

合気道は技を錬磨しながら精進していく武道である。技の錬磨は一般的に、相対で技をかけ合いながら、相手を倒したり倒されたりして技を磨いていく。

技が効けば、受けの相手は倒れてくれる。自分が満足し、相手も納得すれば、それはよい技をつかったことになる。しかしながら、自分も相手も納得する技は、なかなかつかえるものではない。特に、初心者のつかう技は、自分は満足しても、受けの相手はだいたい納得しないものである。

自分も相手も納得する技をかけるためには、修業の段階毎にやるべきことがある、と考える。

  1. まず、入門してからしばらくは、体をつくり、力をつけていかなければならないから、技は力一杯つかってかけなければならない。力と勢いが武器である。これで相手に納得してもらうしかない。
    この段階ではまだ自己中心で、相手の事を思う余裕もなく、相手を思いやる稽古はできないだろう。だから、せいぜい相手に怪我をさせないように気をつけて稽古することである。
    この時期は、自己中心で力、体力主体の稽古ということになる。

    しかし、この時期に次の段階の準備のための稽古をしなければならない。体をただ鍛えるだけでなく、例えば、折れない手をつくったり、腰腹と手先をむすんで手をつかえるようにしたり、体の関節が自由に動くようにしたりするのである。これを怠ったり、十分に鍛えなければ、次の段階に進めないか、進んでも苦労することになる。」
  2. 前の@の段階では、力や体力主体で技をつかったわけだが、これでは技が効かなかったり、自分も相手も納得できなくなってくるだろう。相手に多少力を入れて持たれると、動けなくなったり、技がつかえなくなるのである。そこで、今度はそれまで鍛えてきた力と体を、息に合わせてつかって、技をかける。
    息はイクムスビの呼吸である。イと吐いて、クと吸って、ムと吐くのである。

    基本的に、吐く息は縦の腹式呼吸、吸う息は横の胸式呼吸であるが、この十字の息づかいで技をかけると、引力が発生して、相手をくっつけてしまい、受けの相手と一体化できるようになる。これで相手は納得するようになる。この段階は、息主体での技づかいということになる。前段階の自己中心の稽古から、相手を感じ、見通し、そして、一体化する稽古ということである。ここまではこれまでも何度となく書いてきたことである。さらに、修業は次の段階へと進むことになる。
  3. 次の段階の稽古は、心主体の技をかける稽古といえよう。
    前のAの息主体で技をかけても、それまでにないような効果は出るが、時には技が効かないこともある。かけた技が効くというのは、受けの相手が自ら納得して倒れることである。
    合気道では、相手を倒そうとしているうちはまだまだ未熟で、技をかけたら、相手が自ら倒れるようにならなければならない。

    受けの相手がこちらのかけた技に納得して倒れてくれるためには、相手との接点に十分な力がかかること、そして、こちらの体と息、技が法則に従ってつかわれることであるが、これはAまでの段階のことである。

    しかし、受けの相手を納得させなければならないことが、まだあるのである。それは、心である。心の持ち方、つかいかたで、技が効いたり効かなかったりするのである。例えば、相手を倒してやろう、やっつけてやろうと思う心で技をかけると、その技は効かず、相手は決して満足して倒れてはくれないし、場合によっては反抗してくるだろう。こちらの心に受けである相手の心も必ず反応し、その心が己の体に警告を発して、防御・反抗させるからである。

    息と体を心で導いて技がかかるようにするには、こちらの心が相手の心を邪魔しないようにしなければならない。そのためには、愛の心で技をかけなければならないことになる。例えば、相手は地球・宇宙家族であり、共に宇宙楽園建設への生成化育の使命を果たそうとしている、そのために稽古しているのだ、と思って感謝しながら技をかけていくのである。

    開祖が、合気道を愛の武道といわれたのはこのようなことではないか、と考える。このような思いで技をつかえれば、相当よい技がつかえるようになるものである。

    これは相手に対する心の持ち方であるが、もう一つの心がある。それは、合気道的にいえば、「宇宙に対する心」ともいえるだろう。

    すなわち、宇宙の息に己の息と心を合わせて、技をかけるのである。手で操作するのではなく、息と心で導くのである。そうすれば、受けの相手を手で持ち上げたり、吊り上げたりしなくても、息と心で上がるようになる。中でも呼吸法、天地投げ、入身投げ等では、それがやりやすいようだ。

    このような心で技をかけると、たいがいの受けの相手は納得して倒れてくれるようである。