【第447回】 基本技が基本

合気道は相対で基本技を繰り返し稽古しながら、精進していく武道である。目新しい技を求めて稽古するのではなく、基本技といわれる数少ない技の形を繰り返し繰り返し稽古するのである。

私などは半世紀も稽古に通っているから、それらの基本技を、多少の差はあるだろうが、数万回ずつやっていることになる。

すでに数万回も繰り返し稽古しているが、基本技の稽古には飽きが来ないし、もっと基本技の稽古を続けなければならないとさえ思っている。それは、基本技には何か重大な意味がある、と考えるからである。

最近では、基本技の重要さをますます実感している。それは、基本技ができなければ先に進めないし、合気道を深く理解できない、と考えるようになってきたからである。

特に「正面打ち一教」は重要である。それどころか、合気道の極意技であるとさえ考える。武道では最初に習った技が実は極意技である、というが、まさしくこの「正面打ち一教」は誰もが最初に習う技なのである。

この「正面打ち一教」ができる程度にしか、正面打ち二教、三教も、入身投げも、四方投げもできないのである。つまり、「正面打ち一教」のレベルが上がれば、他の技のレベルも上がることになる。しかし、その逆はないようであるから、「正面打ち一教」が極意技の中心であるはずである。

「正面打ち一教」には、合気道の基本原理がたくさんある。例えば、気の体当たりと体の体当たり、相手と接点で結ぶ、体を陰陽につかう、体を十字につかう、息も十字につかう、等である。

また、基本技の重要なことの一つとして、基本技をしっかりできれば、そこから応用技や変化技が自由自在にできるようになる、ということがある。逆に言うと、基本技ができなければ、応用技や変化技などできないということである。従って、応用技や変化技が自由自在に出るようになるように、基本技を錬磨しなければならない。「正面打ち一教」を「正面打ち一教」だけだと思い、相手を倒せばよいとばかりに稽古しても、駄目ということである。

「正面打ち一教」は、例えば四方投げや入身投げなどへと変化できるものであり、その他にも、相手の喉を突いたり、懐に入ったり、そこから相手の背面に入ったりする応用技や変化技が出せるのである。これは、かつて有川定輝師範がわれわれによく示して下さったものである。

稽古時間中は、基本技からの応用技や変化技をつかうことはできないだろうから、自主稽古で基本技からの変化ができるかどうか、試してみればよいだろう。

もし基本技から応用技や変化技が出てこないならば、その基本技はまだまだである、ということになる。応用技や変化技が自在に出るように、基本技をさらに錬磨しなければならないだろう。