【第418回】 相手の重さをなくす 〜その1〜

本部道場でかつて指導されていた有川定輝先生の晩年の頃には、稽古が終った後、よく食事をご一緒させて頂いた。その時、いつも先生は「今日の稽古はどうだった」とたずねられた。この問いが何を意味しているのか、どう答えればよいのかは、以前にも書いたことだが、ずっと分かっておらず、トンチカンな答えばかりしていた。先生の問いの意味が分かったのは、最晩年になってからであった。

そのトンチンカンな答のひとつに、「今日は大きな力のある外人とやったので、大変でした」というのがあった。すると先生は、そんな答えを聞いているのではないのにしょうがないな、という顔で、「そんなことをいっているようじゃ、だめだな。体重や体力など関係ない」といわれた。しかし、当時は体が大きくて力がある相手とやって技をかけるのは容易ではないことが事実であったし、理論的に考えても当然なことなので、自分は何も間違ってないのに、と思ったりしたものだ。

その後の稽古も、有川先生の先述の言葉を曲解したままであった。
体重や体力に関係ないとは、それらに関係なくなるように稽古するということだろうと考えたのである。それで勢いとスピードの稽古、体当たりでぶつかり、すばやい動きで技をつかうようにしたのである。このような稽古をしていると、相手はがんばることもできないし、がんばろうとも思わなくなるようであった。

しかし、相手を体当たりで飛ばすような稽古を続けているとき、また有川先生がそばに来られて、「そんな稽古をしていると、力がつかないぞ」とボソッといわれて行ってしまわれた。せっかく、かつての有川先生のように相手をぶっとばしているのに、これではだめというのはどういうことなのか、また分からなくなった。

そこで、有川先生がどのように技をかけられ、体をつかわれるか、よく見て、少しでも正確にまねていくことにした。それまでは、先生が示す技の形を、自分流に繰り返しやればうまくなるものと思っていたので、先生のやり方などあまり気にもとめてなかったのである。しかし、注意して先生の動き、体の使い方、息の使い方などを観察し、身につけようとすると、いろいろなことが分かってきたし、また会得できてきたのである。

そして、ついに先述の先生の問いに対する答が分かるようになった。つまり、「今日の稽古はどうだった」の質問が意味するところである。
その最初の正解は、「今日の稽古は、肘関節鍛錬のための稽古でしょう」であった。それが、この日の有川先生の稽古でわかったのである。先生は、毎回、テーマを決めて、そのテーマに沿った指導をされていたのである。

肘関節の稽古とは、超短い準備運動で肘関節を2〜3回振ったことから始まり、呼吸法、四方投げ、隅落としなどで、この肘関節を中心に使って行われていたのである。

この後も、先生の稽古時間にはテーマがあった。テーマが何か分かったこともあったし、分からなかったこともある。だが、テーマと技づかいを見つけようとして、以前よりも先生が示される技をよく見るようになった。

先生の講習会にも何度か参加させていただいたが、そこでも必ずテーマがあった。例えば、荒川区であった合気道指導者講習会のテーマは、「手刀」であった。準備運動から正面打ち一教、正面打ち入身投げ、突き入身投げ、横面打ち四方投げ、横面打ち隅落とし等などで、手刀の使い方や重要さを教えて下さったのである。

もう少し早く有川先生の問いの意味がわかり、先生がもう少し長く教えてくださったら、と思うが、今さらどうしようもない。教えをもとにして、あとは自分でやっていくしかないのである。

有川先生に教わったことはたくさんあるが、中でも大事なこと、つまり稽古に不可欠なことを教わった。それがなければ決して先に進まず、上達できないはずのものである。例えば、ただ、稽古をやっていればよいのではなく、やるべきことを順序よく、焦らずに積み重ねていくこと、また体重や体格や体力に関係なく技をかけられるようにならなければならないし、それは合気道で可能であるということ、等である。

例によって字数が多くなってしまったので、次回は「相手の重さをなくす」とはどういうことか、そして、どうすればよいか、を書くことにする。