【第413回】 理論と実践

合気道は5年や10年くらいでわかってしまうものではなく、合気道の修行にもこれでよいという終わりはない。

修行は長く続けなければならないものだが、長く続ければよいということでもない。上達したいなら、上達するような修行を長年続けなければならないだろう。

長年稽古を続けるのがよいことは誰でもわかるだろうが、上達するためにどうすればよいか、をよく考えなければならない。誰でも稽古で上達しようと思いながら続けているのだろうが、意外にそのことを意識して稽古してないように見える。ただ稽古に来ていれば上達する、と思っているのではないだろうか。

初めのうちは、稽古に通う日数が増えるに従って上達がある。だが、あるところからその方程式は使えなくなる。その方程式に、新たな項(要因・ファクター)を加えなければならなくなるのである。

その項にはいろいろあるが、一つは理論を持つことである。例えば、「稽古の目標は何か」「稽古をする合気道とは何か」など、自分の納得する理論武装をしなければならない。それが分からずに稽古しても、上達などないだろう。なぜならば、上達とは目標に近づいていくことであり、目標がなければ近づくことができないからである。

また、「技とは何か」を研究することである。技を研究しないと、技と形と混同して、相手を倒す稽古になり、大事なことを学ばないことになるので、上達はなくなる。

その他にもいろいろ学び、理論化しなければならないことがある。理論化するということは、自分が理解し納得し、そして、それを技に表すためである。また、理論化していくと、それがどんどんつながり、合気道のこと、自分のこと、宇宙のこと等などがわかってくるようになるのである。

しかし、合気道の理論は、自分で創造するものではない。開祖がいわれるには、それは有史以前からあるもので、宇宙の営みであり、宇宙の条理であるのである。有難いことに、合気道に関する理論立ては、開祖が言われたり、書いて下さっている。

まずは、開祖の教えを記した『武産合気』『合気真髄』『合気新聞』などを何度も読むことである。はじめは読んでも分からないだろうが、何度も読んでいるうちに、少しずつ理解できるようになるだろう。

もちろん自分が抱えている問題の解決のために、上記の聖典を読むのもよいだろう。だが、全体的な理解の底上げをして読んでいかないと、部分の理解は難しいと考える。

合気道は技の練磨であるから、体を使って、体に技を取り込んでいかなければならない。しかし、ただがむしゃらにやっても、合気道や、さらには宇宙の法則に則った技にはならない。

開祖の教えに則った、宇宙の条理の技を身につけるためには、開祖の教えに則ってやらなければならない。そして、つかった技が正しい合気の技なのかどうか、理論に照らし合わせ、反省したり、修正したりしながら進んでいくのである。

おもしろいことに、上記の聖典が理解できる程度に、技もつかえるようになるようである。聖典を理解し、合気道の理論をわかるためには、技を磨けばよいし、技を上達させるためには、聖典をより理解することであろう。つまり、理論と実践によって、相乗効果が出るのである。

理論だけでもだめだし、理論の裏付けのない技もだめである。理論の裏付けのある技を使い、つかった技には理論があるようにしなければならない。そのためには、理論と実践の両方が必要である。