【第406回】 点から線、面、高次元へ

合気道は技を練磨して精進していくが、やればやるほど、それがなかなか容易ではないことが分かってくる。

科学の世界には、ゼロ次元、一次元、二次元、三次元、四次元・・・の世界がある。つまり、ゼロ次元は点しか存在しない世界、一次元が線の世界、二次元は平面の世界(テレビなど)、三次元は高さが加わった世界(この世界)、四次元は…時間軸のある世界。五次元は四次元の世界(今住む世界)とは別次元でワープしないと行けない世界、等といわれている。

合気道の稽古段階や境地にも、次元の違いがあるようである。科学の次元と合気道の次元を対比しながら、合気道の次元を研究してみよう。

始めたばかりの初心者の合気道は、いうなれば点の稽古である。腕力がつくとか、手首が強くなるとか、また、技の動きの所どころができるようになるとか、技(技の形)の部分々々がつかえるようになる、等など。

これは、体や動きや技を点として稽古している段階、ということになる。はじめは一つ二つの点であるが、点が少しずつ増えていく。これが、ゼロ次元の稽古の段階ということだろう。

点の荒っぽい集まりであったものが、点が増えてくると、密になっていき、線になっていく。点と点との間の隙間(下手なところ、苦手な個所)を埋めていって、得意な点を増やすのである。

点が線になってくると、体が一応動くようになり、技(技の型)を最初から最後まで続けてやれることになる。これが、一次元の稽古ということになる。

線の動きができるようになり、それが他の線とつながるようになると、面の動き、面の稽古ができるようになる。例えば、一教がうまくなると、二教・三教ができるようになるし、入身投げもできるようになる、ということである。

これは、二次元の稽古ということになるだろう。しかし、まだまだ平面の世界での稽古である。なぜならば、まだ魄の稽古であるからである。

次の段階は、三次元ということになる。通常、三次元は平面に高さが加わった世界であるが、合気道では、魄の平面の動きに心の高さが加わるということがいえるのではないだろうか。

体(魄)と心(魂)は十字であり、これは縦と横の十字である。それによって動きや技使いに、高さが加わることになるのである。

高さとは、例えば、相手を思いやる心や、宇宙の心の愛であろう。そして、その魄を土台にして、魂が上になり、魂(心)が魄(体)を主導するようになってくる。これができるようになると、次の次元に進むことになる。

次は、時間が加わった四次元となるが、合気道での三次元の稽古に加えて、時間をともなった稽古をする段階であろう。まずは、自分は現在だけでなく、過去にも未来にもつながっていて、過去現在未来に生きていることを実感することであろう。ミクロの世界では、現在などない。現在は未来に変わっていくし、過去になっていく。

従って、練磨していく技は、その時点だけでなく、過去(例えば、過去の名人や達人)にも恥ずかしくなく、また、未来の世界でも通用するようなものでなければならないことになる。

この過現未の時間の流れに則った稽古の他に、時間を自在に扱う修行が必要になると考える。例えば、超速の時間の流れを基に、技をつかうことである。開祖は内弟子達の目の前から、一瞬のうちにその背後に瞬間移動されたということである。

また、逆に、周りの時間を超スローにしてしまう技もつかえることになるだろう。その例として、開祖は発射される拳銃の弾が白いツブとして見えたといわれている。

開祖だけでなく、有川師範などの達人たちも、攻撃してくる相手から一瞬に消えてしまったというのは、時間の加わった四次元での技をつかわれたと考える。次元とは、要素の数や自由度を意味する言葉といわれるから、四次元には四つの要素があり、そしてその時間を含めた四要素を極限まで自由にできる可能性があるということになるだろう。そうであれば、時間も自由になるはずだ。

ここまでの段階で、動きと心と時間の稽古をしてきたわけであり、やろうと思えばなんとかできそうな稽古であろうと思う。だが、稽古の段階の次元は、科学の世界と同様、これだけではないのではないか。

この先には、五次元の稽古があるはずである。科学の世界での五次元の世界とは、この世界とは別次元の世界といわれているから、別次元の世界にワープしての稽古ということになるだろう。

これは、おそらく合気道でいう顕界の稽古から幽界、そして神界の稽古ということになるだろう。この段階を卒業できれば、顕幽神三界に通用する合気道になるのではないだろうか。是非、この次元での稽古ができるようになりたいものである。