【第394回】 各々の運動動作や形には意味がある

合気道は技の練磨を気形の稽古を通してやっていくが、その攻撃法は他の武道には見られないほど多様である。手刀で打ってくる、または片手や両手、あるいは諸手でつかんでくる、拳で突いてくる、また、剣や杖で突いたり打ったりしてくる等がある。

手でつかむ場合も、手首だけでなく、肘、肩、胸をつかむこともあり、片手だけでなく両手でつかむ、しかも前からだけでなく、後ろからつかむ等もある。この場合は、片方の手で手首をおさえるのだが、他方の手で首を絞めたりもする。

合気道の形稽古(気形の稽古)は技を身につけていくわけであるが、そのためには体をつくり、体と体部が宇宙の条理に則るように、機能するようにしていかなければならない。

合気道の形はそのようにできているといわれている。特に、一教、二教、三教、四方投げ、入身投げなどの基本の形(一般には基本技)は、その意味で重要である。

その重要性は、それぞれの形のかつての名称にみられる。かつては、一教は腕抑え、二教は小手まわし、三教は小手ひねり、四方投げは四方に投げ、入身投げも入身での投げであったのであり、各名称にその形のポイントが示されていたわけである。従って、このポイントを押さえ、追及した稽古をしなければ、稽古の意味がなくなってしまうだろう。

攻撃法である取りに対しても、意味がある。正面打ちの稽古のポイントは、相手が打ってくる気持ちと体に負けないよう、制するように、気の体当たりと体の体当たりの稽古である。

両手取りは、両手を左右陰陽に使うことがポイントになる。左右の手と左右の足が陰陽で規則正しくつかえるようにするのである。これがうまくできるようになると、片手の場合でも、両手取りのように手足がつかえるようになる。諸手取りは、持たれている手先ではなく、腰腹や肩甲骨からつかうようにすることである。

諸手取りでも技(形)ではなく、呼吸鍛錬法の諸手取りがある。この諸手取りの呼吸法を技と混同して、相手を倒すことを目的とすると、意味がなくなってしまう。呼吸法は呼吸力をつける鍛錬法なので、極端にいえば、たとえ相手が倒れなくとも、呼吸力がついていけばよいのである。これは、片手取りでも、坐技の呼吸法でも同じである。

形稽古の形(技)や呼吸法だけでなく、準備運動や準備動作でも同じで、どんな動作でも形があるものには、稽古する意味とポイントがあるはずである。従って、その一つひとつをしっかりやらなければならない。

例えば、腕をあげて伸ばす体側運動でも、息に合わせて、体側を限界までのばさなければならない。肘を伸ばすのも、肩を伸ばすのも、そこを限界までのばさなければならない。

手首の鍛錬運動でも、縦で息を吸い、そして息を吐きながら横に十字に力を一杯につかって絞めて、鍛えていかなければならない。

形でも準備動作でも、ひとつひとつに気持ちと力をしっかり入れてやらなければ、形も力も身につかず、時間の無駄使いとなるだろう。