【第377回】 研究者であり、研究材料であり、研究所であれ

合気道は、宇宙の営みを形にした技の形稽古を繰り返しながら上達していく。一般的には、道場での相対による稽古となる。

初心者の内は、道場の指導者から教えてもらったり、注意されたことを身につけていく稽古をして、教えてもらったことを覚えていけばよい。しかし、何十年も稽古していると、指導者も教えることがなくなってきて、後は自分で研究してくれ、ということになるだろう。

この時点からの稽古の仕方の切り替えが難しい。もし、以前と変わらずに、合気道を教わるものとだけ考えて、稽古を続けていけば、上達は期待できないだけでなく、合気道に限界を感じてやめていくことになりかねない。

では、稽古の仕方をどのように切り替えればよいだろうか。
これまでは、道場で指導者に従って、稽古相手に技をかけ、相手がたおれるようにするのが稽古だったが、次は、自分自身が道場となり、研究材料になり、研究者になることである。

自分自身が、自分自身を実験したり、分析する研究所となり、その研究のための研究材料になり、そして、自分自身の材料で研究する研究者となることである。言葉を変えれば、自分自身が実験室となり、実験材料の被験者となり、そして実験者となることである。

自分が実験者、実験材料、実験室であるから、実験する対象、つまり研究目的や研究テーマがなくてはならない。稽古する際には、稽古の目的やテーマがなければ、本当の稽古にはならないことになる。合気道は宇宙の営みを形にした技を練磨していくので、テーマは無限にある。とても一人で研究・実験し尽くせるものではないし、研究に終わりはない。

稽古相手は、これまでのように投げたりきめたりする対象ではなくなり、自分の研究の成果を示してくれるバロメータということになる。つまり、自分の実験の成果の姿であって、実験の直接の対象ではなくなるのである。相手をきめたり抑える直接の対象ではなく、自分自身のかけた技と業の結果を示してくれるものになるのである。

自分自身が研究所、研究材料、そして研究者になれば、道場や研究材料は研究者にどこにでもあることになるので、どこででも、誰とでも、そして一人でも、稽古できることになる。

参考文献  『原初生命体としての人間』(岩波現代文庫 野口三千三著)