【第376回】 結びで始まる

合気道は技の練磨をしながら精進していくが、技の練磨とはどういうことなのか、練磨するにはどうすればいいのか、などを考えなければ、練磨にならないし、精進もしないことになるだろう。

開祖は、まず天之浮橋に立たなければならない、と言われている。つまり、天之浮橋に立たなければ、技の練磨ができない、ということである。また、天之浮橋に立たないで稽古するとしたら、開祖が求められている合気道の技とは違ったものになる、ということになるだろう。

天之浮橋に立つということは、まず、心と体(魂魄)のバランスが取れていること。気持ちだけが先走ったり、体力に頼ったりしない、などということだろう。そして、力は前後、上下左右隔たりがなく、バランスが取れており、しかし、そこには陰・陽と遠心力・求心力を備えた体と心のエネルギーが存在することだろう。

天之浮橋に立つと、相手と触れた瞬間に、相手と結ぶ。相手と結ぶとは、自分と相手が一体化してしまうことで、数式で示せば1+1=1ということになる。天之浮橋に立たなければ、1+1=2のままだから、争いになったり、相手を意識する稽古になってしまい、技の練磨が難しくなるわけである。

合気道では、相手と結んで始めて、技の練磨ができるのである。しかし、他の場合でも、何事も結んでから始めているのではないだろうか。

合気道の場合は技の練磨のためなので、相手と接するのが結びであるが、日常生活などでは、「今日は」「今晩は」とか「すいませんが」「失礼ですが」などの挨拶や声がけで結んでいる、といえるだろう。また、欧米では握手したり、頬どうしをつけたりして、相手と結ぶ。

このような結びから、次の作業や活動をおこしているわけである。もし挨拶や握手という結びがないままに、作業や活動をしても、うまくいかないだろうし、いぶかしがられるはずである。例えば、ドロボーさん、ひったくりさんなどは、この結びを省いているから、問題なのである。

合気道修行の最終ゴールは、宇宙との一体化である、といわれている。宇宙と結ぶことである。そのためにも、まず相対稽古の相手と結ぶこと、が重要である。稽古の相手と結ぶことができなければ、宇宙などと結ぶことなどできるわけがないだろう。まずは、稽古相手と結ばなければ始まらない。

稽古相手と結べるようになってくると、道場の外のものとも結べるようになってくるだろう。人はもちろん、木や草花、小鳥や虫、月や太陽、石などなど、万有万物とである。

ここからは、個人的な思索ということになるが、ご了承願いたい。合気道で相手と結ぶようになってからは、万有万物はすべて一つのポチから生まれ出てきたものであり、宇宙の生成化育をお手伝いするために分身分業をしている宇宙家族であり、宇宙兄弟である、と思えるようになってきた。みんな懸命に生きているのだと見えるようになり、みんなに頑張って欲しいと思う慈愛が芽生え、愛、宇宙の愛ということが少しずつ分ってきたようだ。

おそらく、これが合気道の次の結びであり、宇宙との結びの過程ではないかと思う。この結びから、何かが始まるのではないか、と期待しているところである。