【第359回】 魄を超える力を出す

合気道で相対稽古を続けているが、体力、腕力である魄の力がますます幅をきかせているのを、再認識させられる思いである。稽古を同じくらい続け、技の形も同じように身に着けている場合では、どうしても体力、腕力の魄力のある方が、無い方を制することになる。

開祖は、合気道は魄力の養成ではない、といわれている。魄力ではなく、しかもそれ以上の力が出る力を養成しなければならない、ということである。

魄力とは、体力や腕力であり、肉体に頼った力、表層筋からの力、弾いてしまう力、等といわれるものである。従って、魄力でない力というのはこの逆に、肉体に頼らない力(要は、宇宙・自然の理合の力である)、深層筋からの力、引力を備えた力、ということができよう。

この肉体に頼らない力、魄力以上の力を出すためには、次のような必要条件があるだろう:

魄力でない力とは、呼吸力ということもできるだろう。合気道では、呼吸力が重要視されている。技の練磨をし、精進していく合気道には形がないと、開祖はいわれているわけだが、それは、技の練磨ということが、技の形を覚えることではなく、呼吸力を練磨する、ということであるかもしれない。

魄を超える力を出す力を呼吸力とすると、その呼吸力を練磨すればよいことになる。魄力でない力がどれくらいついたかを見るには、呼吸力を見ればよいことになる。

呼吸力の程度を見たり、呼吸力を練磨する稽古法は、呼吸法、とりわけ諸手取り呼吸法である。合気道では呼吸法を非常に大事にするが、呼吸法は最良の呼吸力養成法であるからだろう。

再三書いているように、この呼吸法の稽古を技と同じように、相手を倒したり、抑えたりするための技と勘違いして稽古すると、稽古の意味が半減してしまう。呼吸法はあくまでも呼吸力の養成法なのであるから、呼吸力がつくようにやらなければならない。相手を倒そうとして、上記の条件にかなわない稽古をしたのでは、魄力はある程度つくが、呼吸力はつかず、いずれ自分の力の限界を感じたり、体を壊すことになりかねない。

しかし、呼吸法、例えば諸手取りの呼吸法を上記の条件のもとで、呼吸力がつくようにやるのは、そう容易ではないだろう。相手はこちらの一本の腕を二本の腕で力いっぱい持っているわけだから、うまくできないのは当然である。

二本の腕よりも強い力を使えばよいわけだが、それが、何度も書いたように、体幹の力である。どんなに太い腕でも、体幹(胴体)より太い腕はない。体幹の力を、手足を陰陽に交互に規則的につかいながらつかえば、相当な力、それまでの魄の力を超える力が出せる。

だが、この力もまだまだ十分に魄を超えた力ではないようで、相手を倒すことはできても、相手がちょっとした反抗心をおこしたり、完全には納得しないようでは、完全な合気とはなっていないのである。

さらに相手と合気できるようにしなければならないし、そのためにどうすればよいのかを、次回に書いてみたいと思う。