【第357回】 他人のせいにしない

合気道は相対で技を練磨していくが、自分のかけた技はなかなか相手に効かないもので、みんな苦労していることだろう。

長年稽古を続けていると、稽古相手は自分より稽古年数の少ない後輩ということになってくるから、相手を投げたり抑えるのは以前よりは容易になるだろう。しかしそれに慣れてしまうと、うまくいくのが普通で、うまくいかないのは納得しがたい、ということにもなりかねない。

人間は納得しないと落ち着かないもので、納得するために理屈を考えてしまう。その典型的なのは、「相手が悪い」というものである。相手がちゃんと打ってきたり、掴んでこなかったからとか、相手ががんばったのでうまくできなかったなどと、相手のせいにするのである。

やりやすい相手とやりにくい相手がいることは確かである。また、相性のいい相手や悪い相手がいるものだ。そうかといって、やりやすい相手、相性のいい相手とだけやるのは、容易だろうが稽古にはならないだろう。自分の技に満足してしまうからである。

合気道では、自分が宇宙の中心、天之御中主の神になってやらなければならない、と教わっているから、稽古の相手がいかなる人でも、その相手がどのような動きをしても、自分が主体となり、相手と結び、相手を自分の円の動きの中に取りこんでしまわなければならない。

相手の思うままにさせてしまったり、自分に不利な態勢や動きを許してしまうのは、相手が悪いのではなく、自分が悪いのであって、自分のせいということになる。どんなに妥協しても、少なくとも半分は自分のせいである。いかなる問題が発生する場合にも、その問題の原因の少なくとも半分は自分自身にあるはずである。

うまくいかなかった場合には、少なくとも半分は自分に問題があるわけだから、その問題が何だったのかを見つけなければならない。見つけたら、その解決策を考え、そして、それを稽古で試してみなければならない。うまくいけばよいが、うまくいかない場合は、違う解決策を検討しなければならい。

これが、最もポピュラーな稽古法のはずである。うまくいかなかったこと、その問題を教えてくれた相手に、感謝である。

うまくいかなかったことを相手のせいにして終り、では、せっかくの上達の機会を失うことになる。なかには、受けの相手に注文をつけているのを見聞きするが、それでは稽古にならないだろう。やり難いようにしてくれることに、感謝すべきだろう。新しい体験であり、新しい問題解決に挑戦できるからである。

上達のチャンスを少しでも増やし続けるためには、いろいろなタイプの相手と稽古して、そう簡単にはうまくいくものでないことを経験し、そのチャンスを活用して上達していかなければならないだろう。