【第35回】 隣の芝生はよく見える

合気道に入門する動機の一つに、喧嘩に強くなりたいと入ってくる人もいるだろう。しかし、喧嘩に使えるようになるまでには中々上達しないので、空手とかボクシングの方がいいのでないのかと考えたりもするらしい。

しかし、30〜40年前までは、柔道、剣道、空手、ボクシング等などの武道やスポーツをやってきて、それに満足しないで合気道に入ってきた人が多くいた。それは、合気道にはいかなる武道、武術、スポーツよりも強くなる可能性があるということではないか。

開祖は、合気道は総合武道であり、武道の基であると常々言われていた。つまり、合気道には武道の技の基がすべて入っているということである。突く、打つ、切るに対する技だけでなく、その技ができるためには自分でも突き、打ち、切るも出来なければならない。要はそれをやるかどうか、どれだけやるかということになる。

実際、以前は稽古人のなかに喧嘩に役立つために稽古に来ているような人もいた。相手がこう来たらこうやるのだとか、この技はこうした方がいいとか、もしこれが効かないときはこう返すとかいうような、実践的な稽古をしていた。そして我々若い者に、ときどき自分の武勇伝を話してくれ、そのときの技の有効性を説明してくれたりした。

つまり、強くなりたかったら自分が一生懸命稽古をやればいい。突きなら空手の稽古をしている人以上にやればいいだけの話である。合気道には"かたち"がないと言われる。何をやったから強くなるということはない。
強くなるかどうかは、その目標に対する努力とその人の資質である。合気道をやっていても強い人もいれば、空手やボクシングをやっていても弱い人はいる。強い弱いは人とその人の努力によるもので、合気道とか空手とかの外的な要因にあるのではない。喧嘩で負けても、その人が負けたのであって、その人がやっていたモノではない。

隣の芝生はよく見えるものだ。縁あってはじめた合気道。よそ見をしないで焦らず、自分を信じ、合気道を信じて精進するのがいい。