【第317回】 武道としての稽古

合気道は武道であるが、武道という言葉はそう古いものではないはずである。敵を切ったり切られたりしなくなった、平穏になった時代からのものだろう。恐らく廃刀令が出て、武士が刀を差さなくなってからではないだろうか。それ以前は、今の剣道は剣術、柔道は柔術など、武術といわれていた。もちろん今でも「道」(どう)にならず、術のままのものもあって、古武術といわれるものに多い。

武道も武術も、最終的に求めているものは同じではないかと思うが、そこに行く過程、つまり稽古法や考え方は違うようである。武術はあくまで敵を制することが目的だから、敵に負けないように力と術(テクニック)を身につけることが重要だろう。それに対して武道は、自分自身を鍛え、精進していくものである。従って、武術は相対的、武道は絶対的な稽古、ということもできるだろう。

合気道は、武道として稽古している。しかし、合気道は、はじめから武道であったわけではなく、開祖の悟りによって、強い弱いの相対的な武術から、自分主体の絶対的な武道に変わったのである。

開祖は「武道とは、腕力や凶器をふるって相手の人間を倒したり、兵器などで世界を破壊に導くことではない。真の武道とは、宇宙の気をととのえ、世界の平和を守り、森羅万象を正しく生産し、護り育てることである。すなわち武道の鍛錬とは、森羅万象を正しく産み、護り育てる神の愛の力を、我が心身の内で鍛錬することであると、私は悟った。」といわれている。

要するに、合気道も武術という時期を通りすぎてきたのであり、それ故、多くの武術の術と心も入っている、ということになる。

合気道は、すばらしい哲学があるほか、完璧といっていい技(の形)、相対での理想的な稽古法、基本準備運動や呼吸法など、効果的な鍛錬法がある。試合はないし、相手と勝ち負けのためにやる稽古でもないので、老若男女のだれでも安全に楽しくできるものである。

だが、その半面、一つの大事なことを忘れてしまいがちになるということがある。それは、武道であることを忘れてしまうことである。

合気道は相手との勝ち負けを決めるために稽古するものではないが、武道であるということを意識して稽古しなければ、稽古の意味は半減するし、上達もないはずである。

それでは、武道としての稽古とはどのようなものであるべきかを見てみたいと思う。

  1. まず、合気道は武道であるから、相手を常に攻撃者として対処しなければならない。本来、敵は力いっぱい力を入れてくるはずだし、スキがあればいつでもそのスキをついて攻撃してくるはずである。それ故、初めから最後まで、攻撃のスキをつくらないようにしなければならない。投げたり抑えた後の残心や、相手との離れ方も大事である。また、掴ませた手を外さないように注意しなければならない。手が離れれば、やられるとおもわなければならない。
  2. また、相手の前に身を置いたり、叩かれるところに顔や身を置かないようにしなければならない。それを危険と感じなければならないし、避けるようにしなければならない。
  3. 合気道の場合は、相対稽古の相手を技で制して投げたり、抑えたりするが、相手の素直な受けに期待するのではなく、相手が力いっぱい掴んでこようが、打ってこようが、関係なく対処していかなければならない。そこには、それだけの理合と必然性がなければならない。
  4. 自分の限界を乗り越えるような稽古をする。相手が強いからとか上手いからとかに関係なく、できなくとも少しでもできるように、目標に一歩でも近づけるように、頑張らなければならない。これは、スポーツなどと大きく異なるところである。スポーツはそこで勝なければ意味がないが、武道では今できなくてもよい。その内にできればよいのである。その内にできるようにするための稽古が、武道では大事なのである。
  5. 技をかける際にも、相手に対してスキがない動きでなければならない。それが自然に攻撃になるべきである。手を動かす、足が出る、膝を折るなどの際にも、相手の要所を制し、いつでもそこを攻撃ができるという心体で、技をかけていくことである。もちろん、そこまでやってしまうと合気道の稽古にならなくなってしまうが、心構えと体が自然とそうなるようにしなければならない。そこに、武道としての緊張感が、受けと取り双方にでてくる。
  6. 体力とか腕力の物理的なものを超越したもの、つまり技で稽古をしていかなければならない。日常の心体とは異次元の心体で、稽古をすることである。
こんなことを注意しながら稽古をしていかないと、武道の稽古にもならず、なんの稽古をしているのか分からなくなってしまうことになる。よほど注意して稽古しなければならない。かつて本部の相川定輝師範は、しっかりした技を身につけるためには、武道よりもっと厳しい稽古をしなければならないと、次のように言われていた。「(合気道を)武道なんていっているから、技がだめになるんだ、まあ武道というよりは武術だな」と。

まだまだ厳しさが足りないようだ。もちろん、それは稽古相手に対してではない。自分自身にもっと厳しくなることである。だが、先ずはとりあえず、武道としての稽古をしていくべきだろう。