【第306回】 技が効くために

合気道の基本の道場稽古は、相対で取りと受けを交互にやり合う相対稽古である。合気道は勝負することではないし、優劣を競うものでもないと教えられてはいても、それを悟るまではどうしても相手を意識した稽古をしてしまうものである。つまり、相手が倒れるように技をかけることに専心してしまうものだ。そして技が効かなければカッカしたり、自信を失ったりしてしまう。

技が効かないのには理由がある。先ず、合気道の技は宇宙の法則に則っているといわれるわけだから、法則性があるはずだ。法則だから、誰が誰とどこでやっても適応するものである。法則に則らないことをやれば技は効かないことになる。

また、合気道は武道であるから、武道としての合気道の身体ができていなければならない。ある程度の体力、折れない手等ができていなければ、技など掛らない。

それでは、「技が効く」とはどういうことなのか考えなくてはならないだろう。 技が効くためには3つの段階で考えればいいだろう。

先ず、相手と接した瞬間、相手とくっついて結んでしまうことである。相手と一体化すれば、この瞬間の技は効いたことになる。相手とまず結ばなければ、その触れた瞬間技はきかないだけでなく、その後、技を効かせることも難しくなる。何事も最初が肝心である。

次に、くっついた相手と一体化し、二人が離れずひとつになって、こちらの思うように動くこと。こちらの制する通りに動いてくれず、相手に別行動を取られれば技は効いていない事になる。

最後は、相手が自ら倒れていってくれることである。こちら(取り)が相手を投げたり抑えて倒しているうちはまだ技が十分に効いていない事になる。
勿論、相手が倒れなければ技は効いていないわけだが、合気道は相手を倒すのではない。相手が自ら倒れるのを一寸助けてやることによって、相手が倒れてくるのである。

この3つが出来た時、技が効いたと言える。

相手が倒れたからとか、相手の関節をきめたから、技が効いたということではない。相手が力不足で弱ければ、何をやっても相手は倒れるはずである。また、もしかすると相手はお情けで倒れてくれたのかもしれない。また、どうせ技が効かないが、頑張れば時間の損だし、自分の技を掛ける取りの時間が惜しいから受けをとっているのかも知れない。

技が効くように稽古をしているわけだが、相手によっては効かないものだ。どんなに力んでも効かないものは効かにのである。力一杯、何回かやれば出来るようになるということではない。冷静になって稽古の本来的な意味に戻らなくてはならない。

それは、稽古とは自分の上達のための自分の稽古であり、強い弱いを競うものではないということである。例えば、二教裏で手首を締めようとしても、出来ないことは出来ないのである。相手の手をきめようと力むのではなく、自分の両手の指で相手の手首を絞り込んで自分の指を鍛えた方がいい。何時の日か相当強い指ができるはずだから、そのときは二教裏がもっと効くようになるはずである。

自分の稽古をしていけば、遅々とではあろうが必ず技が効くようになっていくはずである。