【第302回】 やるべきことと順序がある

合気道には試合がないので、自分がどれだけの実力があり、どの程度のレベルなのかが、分かりにくいものである。また、試合がないし、稽古の遠征や他道場へ稽古に出かけていくこともあまりないだろうから、稽古相手は限られ、その道場での縦の関係で稽古をすることになるだろう。行きつけの道場や、その中のグループの縦の関係で稽古をしていると、上下のランキングができて、上のランクになると、自分は実力があると思い勝ちになるものだ。いわゆる「池の中の蛙」である。

後進や弱いものに技が効いたから、実力があるとは限らない。弱い者、力のない者には、何をやっても、どうやっても、倒したり抑えることは難しくないだろう。

長年、本部道場で稽古をしていると、有難いことにいろいろな人達と稽古ができる。日本人だけではなく、世界のいろいろな国から稽古に見える。

いろいろな方々と稽古をさせてもらって思うことは、人はみんな違うということである。それぞれに強いところもあれば、弱点もあることを、つくづく感じる。そして、もうひとつの点としては、誰でもやるべきことをちゃんとやらなければならないということを実感することである。

現代は忙しい世の中なので、物事をじっくり時間と手間をかけてやるのが難しくなり、なるべく物事を手っ取り早く身に着けようとする。その傾向は稽古にまで影響しているようだ。

習い事、稽古、修行は、時代が変わろうが、人が変わろうが、やるべきことを、順序立ててやらなければならないはずである。書道では、楷書で自分の癖をとり、書の基本を身に着け、それから行書、そして草書に移っていくから、すばらしい書が書けるようになる。楷書の練習もなしで草書など書けば、美しくもないし、誰にも読めない判じものになってしまうだろう。

合気道においても、やるべきこととその順序があると考える。やるべきことは無数にあるだろうし、その優先順位もあるだろう。それは人により、民族などによって違うだろうが、基本的なことは違わないと思う。そのやるべきことと順序を思いつくままに記してみたいと思う。

先ず、入門してから初段になるまでに、形稽古を通して覚えることをし、やるべきことをやらなければならない。つまり、合気道の形を覚えることと、受身(前受身と後受身)が取れるようになることである。形をいわれたら、その動きができるようになることである。技(形)の名をいわれて動けなかったり、間違って動くようでは、駄目だろう。

また、半身の姿勢、撞木の歩法、ナンバの歩法等の基本を学ばなければならない。要するに、『合気道技法』にあるように、基本準備動作をしっかりと身につけなければならないということである。半身、撞木、ナンバが身につかなければ、稽古は先に進めないはずだ。

さらに重要なこととしては、基本技の形をしっかり覚えなければならない。上級者のまねをして、労を惜しんではならない。

例えば、三教などは注意しなければならない。一教でしっかり抑えてから、相手の腕が返らないように、受身の腕の形で制してから、相手の小手を反すように、体に覚えさせなければならない。その稽古をしないで、手首だけをとって小手を反しても、すぐ相手に反されてしまう悲哀を味わうことになる。有段者になって基本技ができないのは情けない。白帯からしっかり稽古をしなければならない。

特に、受身は重要である。受身の稽古をどれだけやるかが、後の稽古に大きく関係してくるからである。受身からは、体のカスをとり、筋骨を鍛え、心臓や肺などの内臓を鍛え、乱れない息つかいを身に着ける等などを学ばなければならない。

基本の形を覚え、受けができ、有段者になっても、やるべきことは沢山あるだろう。もちろん、それはその前の段階からやっていなければならないことで、やっていればよいが、やっていなければやらなければならないということである。

まず、しっかりした体をつくることである。そのためには、剛の稽古をしなければならない。触ったら倒れるような稽古や、相手の温情に頼るような稽古をしないことである。かつてなら、そのような稽古を開祖に見つかると、大目玉を頂いたものだ。自分で技を掛ける時だけでなく、受けでも腰腹以外は力みをなくし、剛の受けをとりながら、しっかりした体をつくっていかなければならない。しっかりした体ができなければ、稽古は先へ進まない。

合気道は技の練磨で精進するが、技の練磨に入る前にやるべきことがある。つまり、それができなければ、技の練磨に入るのは難しいだろうというものであるが、分量も多くなって読むのも大変と思うので、それは次回にしよう。