【第290回】 点的でなく線的な稽古を

忙しい世の中で合気道の稽古を続けるのは、容易なことではないだろう。朝早くから夜まで働いて、休みもままならない生活だろうし、週に一日でも二日でも稽古に通おうと思えば、そのためにいろいろと苦労されているはずだ。

我々の学生時代とは時代や世相が変わったためか、学生であっても毎日、稽古に通う人はほとんどいないであろう。たいていは週の内で何日か決めて稽古をしているはずである。

毎日、稽古をするのと、週の内の何日かを稽古するのを図形化してみると−(線)の稽古と●(点)の稽古といえるのではないだろうか。

物事を成就させるには、点的ではなく、線的な努力が必要である。点的な稽古では、前との繋がりが稀薄になるから、前にやったことを忘れたり、散発的になって、以前に会得したり疑問に思ったこともなかなか出てこないだろう。調子が出てきて前の稽古に結びつくのは、たいてい稽古の終わる頃になるものだ。点的な稽古はこの繰り返しになるので、上達はなかなか難しいといえる。

線的な稽古をすることによって、積み重ねの稽古が容易になる。過去と繋がり、そして、未来に繋がる稽古である。過去と現在の延長上に、未来があるはずであるからである。点は恐らく散発的でランダムなはずだから、方向性を示すのが難しくなるはずである。

誰でもできれば線的な稽古をしたいと思っているはずだが、現実的にはなかなか難しいわけだ。しかし、それに近づけることはできるだろう。道場に毎日通えなくとも、線的な稽古をするということである。

毎日、道場に通えなくとも、自宅や職場でも稽古はできる。大事なことは、そこで点の稽古にならないように、線的な稽古をすることである。毎日、継続してやることである。ストレッチでもよいし、木刀や鍛錬棒の素振りでもよい。ただ、毎日無理なくできるように、プログラムを無理のないよう組むことである。10回でも20回でもよい。初めは少なめにやればよいし、また、多過ぎたと思えば調整すればよい。ただし、決めたら毎日やることである。

毎日やることことが何故よいかというと、毎日やってみれば分かるはずだが、その秘密を明かすと、毎日やっていると、体がやるべきことを時系列的にアドバイスしてくれるのである。まずはこれをやれとか、今度はこれをやれとか、よいとか駄目とか、これはこうした方がよいとか、また、道場で稽古した技に対しても、ここをこう直したり鍛えたり、こう使えばうまくいくだろう等と、教えてくれるのである。自分の本当の「師」が助けてくれるのである。

自分の内に潜む「師」が助けてくれるというためには、現実の世界である顕界ではなく、見えない世界に入り込んでいかなければならない。顕界では浮世の生活のため、稽古は点的にしか出来ないが、見えない世界では、浮世とちょっと離れることによって、線的な生き方や線的な稽古がやりやすいので、その見えない世界に入って稽古を続けていかなければならないのだと思う。

見えない世界では、線的な稽古が繋がりやすいようである。かつて本部道場の有川師範は、真剣な稽古をすれば3分で十分と言われていた。真剣な稽古というのは、俗世の事を断ち切り、顕界から離れた世界に入り込んで稽古をするということである。そうすれば、一日に3分だけ真剣にやれば、1日分の稽古としては十分であり、線として昨日と明日、そして将来に繋がっていくということであろう。

一人稽古のときだけでなくても、祈るなり、自分なりの心をこめた儀式をしたりして、顕界から見えない世界に入ったり、入る準備をすべきであろう。

道場の稽古においても見えない世界に入り、過去と現在と未来を繋ぎ、線としての修行を続けていかなければならないと考える。