【第288回】 思想と体と稽古

武道で達人・名人の域に達した方々は、しっかりした思想を持たれ、体ができており、そして絶えず弛まぬ稽古をされたはずである。

また、自分の修行する意義や目的、哲学や思想を持たれ、それを追求されていったはずである。合気道の創始者である植芝盛平翁を考えればわかるだろう。開祖は、合気道の目標を宇宙との一体化、地上楽園・宇宙生成化育のお手伝いという高次の思想を打ちたてられ、それを実践された。また、合気道の思想と目標を達成すべく、体をその思想に基づいて鍛えられ、宇宙と合気すべく、弛まず稽古に励んでおられたのである。

稽古には終わりがないし、完成はないので長い年月が必要である。しかし、ただ稽古を長く続けていればよいということではない。

稽古を続ける意味は、昨日より今日、今日より明日と上達するところに意味があるのである。だから、明日に続く稽古をしていかなければならないことになる。

明日に続く稽古をするためには、まず、稽古も目標を持たなければならない。入門の頃の目標は、体を鍛えるとか身を守るとかなどというレベルであり、体もそれに合わせて鍛えるであろう。しかし、合気道には試合もないし、勝負をして上達するものでもなく、攻撃技もないので、ある時点で上達がとまってしまうものだ。

ここから先の上達は、稽古の目標をもう少し高い次元に設定できるかどうかにかかってくる。簡単に言えば、合気道創始者の合気道の目標を目標とするということである。これに気づき、その目標に向かうかどうかが、明日の上達があるかどうかということになろう。

合気道は技の練磨を通して精進するが、技をつかうためには、技をつかえるような体ができていなければならない。

先ずは、体の節々のカスを取り除かなければならない。受けもしっかり抑えさせて、決めるときはきっちりと決めさせなければならない。中途半端な抑えでは、カスは取れず、稽古にはならない。

カスが取れてきたら、体が動くようになってくるので、合気道の思想である、宇宙の法則に則った動きの技で、体を使うようにしなければならない。十字、螺旋、陰陽、天地の呼吸に合わせる等などである。宇宙の法則に合っていない動きの体遣いをした稽古をしても、先には繋がらないし、体を痛めて早期引退ということになるだろう。

このように、合気道が求めている目標に合致した思想を持ち、宇宙に則った体遣いをした稽古をして行けば、上達はあるはずである。つまり、合気の道にのれば、その道を前進できることができるのである。後は、弛まぬ稽古を一生懸命にし、その道から外れて外道にならないように注意しながら稽古を続けていくことだろう。

上達には、思想と体と稽古の、三点セットが必要ということである。