【第27回】 プラスアルファの効用

合気道を修行すればするほど、合気道に深く入って行くが、稽古だけだとどうしても行き詰まってしまう。合気道を深めていくためには、いろいろ他のものも研究する必要があるだろう。

昔、武士は史書五経、武芸十八般のほか、書、仕舞、鼓や笛、尺八などをやっていたようだ。また、武士は戦いで生き残るためには、戦場での傷の手当てや、自分や他人の怪我や病気を治すための体の仕組みや薬草の知識、あるいは、仕事をこなしたり出世するために様々な学問をやる必要があった。当時はこれらのうち、何か欠ければ武士ではなく、逆にいうと、このような教養や知識の上に実力があって武士と認められていたのではないか。
中国の武術の名人も、教養があることを理想とされていた。武術のほかに書画、詩、楽器などもできるのが理想とされていた。

昔は、武士という武と知と芸をそなえたモデルがあって、庶民もそれを見習うことができたわけだが、今はそのようなモデルがない。
今は、専門化、単純化が美徳とされる時代である。専門家が企業や社会では要求されるので、だれもがそのために不必要なものを切り捨て、一つのことだけ専念し、それ以外のものに興味を示さなくなっている。
専門化、単純化は本来、ビジネスの世界だけのものであるはずだが、学校の勉強にも入り込んでいて、入学試験に出ない科目は全然勉強しないとか、体育の時間は病欠と称して試験科目の勉強をする等、社会的に単純化が見られる。

専門化、単純化とはビジネスの世界では通用しても、人間としての生き方とはいえないだろう。勿論、経済的な基盤がしっかりしていなければ、何もできないのでビジネスは大事である。しかし、本当は、企業でも多彩な能力を持つ人々を雇用して働いてもらった方が、企業のためにもなるはずである。

合気道は、「真善美の追及」や「体育気育知育徳育常識の涵養である」といわれる通り、人の生き方を探求するものである。これは、たかだか道場で週数回の稽古だけで分かるようなものではないだろうと思う。合気道を深く探求しようと思えば、合気道に直接関係のないようなものでも研究し、堪能したらいいのではないか。実際に体を動かすことができなければ、観たり聴いたり、また、それに関する書籍を読むのもいいだろう。例えば、他の演武大会、スポーツ、お能、歌舞伎、オペラ、コンサート、絵画展、書道展、刀剣展、仏像彫刻展、華道展などの観戦や見学や研究である。
合気道が真善美の追及であるなら、絵画展、書道展、刀剣展、仏像彫刻展、華道展なども積極的に観て、美的センスのレベルアップをすればよい。自分の美的センスのレベルが上がれば、技を掛けたり掛けられたりするときの動きも美しくなっていくはずである。美しくないものは真ではないし、力もない。
お能、歌舞伎、オペラ、コンサートなどはリズムや間、響きなどが勉強できる。大勢の観客を何故魅了できるのか、何が人を感動させるのかも考えさせられる。おそらく自然の息吹、リズムにあったものが、人に感動を与えるのだろう。うまい和太鼓、笛やかねを聴くと元気がでるし、心も体も踊らされる。

直接関係ないように見えるようなことでも、やりたいと思ったことをいろいろやってみると、必ず合気道のプラスになるだけでなく、人生の楽しさが倍増し、自分が豊かになる。合気道の稽古を核として、いろいろと興味のあることが広がっていけば、定年を迎えても老後が楽しく過ごせることであろう。

自分のやりたいと思う気持ちに従って、なんでもやってみればいいのだが、しかしながら、他の武道を同時にやったり、他の先生のものも一緒にやるのは感心しない。今やっている先生や武道に対して失礼である。

一つのことを追求していくといろいろのことが関係してくるのがわかり、あれもこれも探求したくなるはずだ。合気道の世界はミクロの世界まで入っていかなければならないが、また、その対象にあるマクロの世界がわからなければ、そのミクロの世界も分からないはずだ。つまり、マクロの世界が分かるレベル迄でしか、ミクロの世界が分からないということである。マクロの世界を知るためにも、合気道以外のことにも挑戦々々!!