【第265回】 技に自分を入れ込んでいく

合気道は技を練磨して精進していくが、技をただ繰り返して稽古していけばよいということではない。もちろん繰り返し繰り返し稽古をしなければ上達はない。繰り返しての稽古は必要条件ではあるが、十分ではない。つまり、上達するように、繰り返し繰り返し稽古を続けなければならないのである。

そこで、上達するような稽古とはどういう稽古であるべきなのか、まず考えなければならないだろう。

合気道の一般的な稽古は、二人で組んで受けと取りを交互にやる相対稽古である。勝負をしているわけではないが、やはり技がきまって相手が飛んだり倒れれば気持がいいし、技が効いたと思ってうれしいものである。そのため、何とか相手を倒そうとしたり、技を崩してつかったり、また、力も技のうちとばかり腕力でやってしまいがちになる。しかし、技で相手を倒すのが稽古の目的ではないのである。

この技に対する考えを変えないと、上達はないと考える。技を掛けて相手を倒すのではなく、相手が自ら倒れるように技をつかわなければならないはずである。

合気道の技は人為的につくられたものではなく、宇宙の法則を形にしたものと教わっている。その宇宙の法則に則った技であるから、相手も自然に倒れてくれることになるのだろう。従って、相手が気持よく自ら倒れてくれるようでなければ、その技はまだその法則に則っていない未熟な技ということになる。

合気道の技は宇宙の営みに合っているから、技を正しく会得していけば、宇宙とそれだけ一体化していくはずである。宇宙との一体化こそ合気道の最終目標といわれるわけだから、そのためには、技を正しく修練していかなければならない。

技は、宇宙の仕組みや働きの要素を備えているはずである。技は人がつくっていくものではなく、すでに存在している。われわれ稽古人は、その宇宙要素を頂き、身につけていくだけなのである。技をいじくりまわしたり、変質させてはいけない。技は自分がいじくりまわすものではなく、技に自分を入れ込んでいくものである。技は主であり、技に対して自分は従ということになる。主と従を取り違えてはならない。さもないと、技の上達はないはずだ。

宇宙の条理に合った技に、自分が入り込めば、宇宙の意志に即した、自然で超人的で摩訶不思議な技が身につくのではないだろうか。技がそれを教えてくれるはずである。技をいじくり回さず、技の中に自分を入れ込んでいくように稽古をしていくべきだろう。