【第262回】 イメージ・トレーニング

合気道は、通常ふたり一組での相対稽古で、技を掛け合って稽古をする。この稽古法は、平和的で、理に適い、健康的にもよい、実にすばらしい稽古法だと思う。つまり、上手い下手や先輩後輩などに関係なく、公平に技をかけ受けをとる。初心者は受けで技を覚え、間違った技を掛けても、上級者の受けに導いてもらえる。また、どんなに古い稽古人も、受けを取らなければならないので、転がって健康になるし、いつまでも初心に帰れる等など、理想的な稽古法であり、時代を先どりしているものと言えよう。

しかしながら、この相対稽古は、誰もが入門してからずっと続けていく稽古法なので、どうしても相手を意識し、相手に依存する稽古になってしまう。つまり、相手を倒したり抑えれば、技が効いたとか、上手くなったと思ってしまうようになり、相手を倒したり、押さえることに一生懸命になってしまうことになる。

相手を倒すことを稽古の対象にしたり、相手を意識した相対的な稽古には限界がある。その内に、上級者や腕力のある相手とやって、これまでのように上手く技が掛からないようになってくるものだ。

そうなると人は二つの道のどちらかを選ぶことになる。一つは技が効かない強そうな相手とは稽古をしないようにし、これまでのように仲間内か自分より同等か下の相手と稽古をする。もう一つは、自分を更に精進することである。

前者の道を行く人は、それはそれでよい。そういう楽しみ方もあるだろう。もちろん後者の方が武道としては理想的なわけだが、精進すると言ってもどうすればよいのかが問題だろう。

問題をもつ本人はどのようにすればよいか分からずに悩むのだが、それを上級者から見れば、なぜ出来ないのかどうすればいいのかということは一目瞭然であり、その理由は簡単なものである。

その理由はいくつもあるが、一般的には次のようになるだろう。

この他にも沢山あるだろうが、ここで大事なことは、今の稽古形態では、これらの問題は他人が解決してやれるようなものではなく、本人自身が解決しなければならないものであるということである。

これらの問題を自分自身で解決するためには、自分の稽古の中で意識してやっていければよいが、どうしても投げたり抑えたりする相対的な稽古になりがちなので難しいだろう。稽古の中で難しければ自主稽古で、自由時間とか自宅でやるしかない。

武道とは孤独なものである。本来は一人で精進していくものであるはずである。仲間やグループで稽古するというのも稽古であるが、それは主に自分の考えたことを試してみる場と考えるべきであろう。一人で孤独に探求し、精進していかなければ、深く探求することはできない。

一人で精進するということは、受けを取ったり投げてくれる相手がいないわけだから、自分の頭の中でその役をやらなければならない。いわゆるイメージトレーニングである。相対稽古と違い、初めのうちは、力むこともないし、疲れることもないので、稽古をやっているという気持にならないが、いつでもどこでも自由自在に出来るのでよい稽古になるはずである。イメージは自由であるから、猿飛佐助にでも須佐之男尊にでもなれる。

また、一人でやるので邪魔が入らないから、正確に動けるはずである。一人でイメージ通りに、歩みを進めたり、体を動かしたり、技を掛けることができれば、相手と稽古をしたときに出来るようになる可能性は大である。イメージでできても相対稽古でできるとは保証できないが、一人でできないならば決して相手と二人でもできないだろうことは保証できる。

上級になればなるほど、イメージ・トレーニングとそのイメージでの一人稽古は、どんどん重要になっていくはずである。